初夢

本当は、この絵の外側。何にもないところが美しい

美しいと感じる対象(モノとは限らない)は人それぞれ違っているだろうし、それが大事なことでもある。同じ一人の中でも、その成長の時期や精神の深化の過程で、対象も変化するに違いない。そして、多くは忘れられ、失われていく。美しさは一瞬。

初夢の中で考えていた。自分が、本当に美しいと思うものは何だろうか、と。あれでもない、これでもないと選ぶうち、ふっと「雪かも知れない」と湧いてきた。
 あとから考えると、元旦に雪景色を描き初めしたから、きっとそれが夢に出てきたんだろうと想像したが、その前に、美しいものを自分からどんどん捨ててきてしまったのではないか、と哀しい思いでいっぱいになっていたことも覚えている。
 記憶の箱の中から、焦るような気持で、失ってしまった「美しさ」を一つ一つ取り出している(それらが皆、紙の上の絵のように平面なのは笑ってしまうけど)。そして、突然掌に現れたのが、小さな石にこびりついている雪だった。大好きな林の中で、半分ほど凍りかけた雪を指で擦っていた。

そうだ、雪の色は白じゃなかった。じんわりと石の色が透けて、ギザギザした、そして風に擦られた子どもの頬っぺたのような色をして、その上に針のような小さな結晶も一つ二つ立っている。ずっと、それを描くだけでよかったんだなあ、と目が覚めたあとも考えていた。

師走の銀座風景

「ポインセチア」試作2 このレベルじゃ、まだ全然ダメ
師走の銀座界隈

先日(12/16)、国画会の安原容子さんの個展などを見に銀座へ行ってきた。最終日だったが、いずれの個展もひっきりなしに来場する人がいて、絵を見に来る人は減ってないんだな、といささか安堵した。

歩行者天国も久しぶり。中国語も多く耳に入り、かの国での観光がオープンになったことを肌で感じた。路上の思わぬところに座り込んで、めいめいスマホをいじくっている家族。まだ微妙な違和感はあるが、ひところの中国人観光客レベルからみると、ずいぶん日本人感覚に近くなったと感じる。

ホコ天をあるいていると、ヨーロッパ、アメリカ、南米系、中東系、アフリカ系の顔が行きかう。ワイシャツだけで行ったのに、それでも汗をかいた。12月半ばで、この暑さはどうなっているんだろうか。Tシャツ一枚で歩いている人もいれば、その隣ではダウンを着こんだ人もいる。そんなホコ天から、各画廊へは90度ずつ、カクカクと曲がっていく。

長年苦しめられたポインセチアの、一つの攻略法が見つかり、今年は少しだけ肩の荷を下ろした(近々、それをYouTubeに乗せるよ)。大みそかまであと10日。元気な人の、元気な個展を見ると、来年の発表までの十数点の絵の構想と試作をしながら、もう一歩ポインセチアの攻略法を探す気力も湧いてくるよ。

ポインセチア‐冬晴れ

       「ポインセチア・冬晴れ」 水彩、Water Ford 紙 (粗目、コットン紙)

今日も夕方から、急いで一枚描いた。一昨日の絵のバリエーション。モチーフはまったく同じ。ただ、いつもより細い筆を使って、細かく描いています。

ここ2~3年、毎年ポインセチアを描いていても、一枚も納得いく感じがありませんでした。それでも前回と今回とで、この(ブログのような)方向なら、多少攻略法が見えてきた感じがします。

こういう “実写” 的な絵でも、実は多くの「作為・フィクション」があります。決して見えるままに描いているわけではないのです。「創作」ですから作為は当然ですが、具体的にはまず、対象物を「置く」ところから始まります。背景を作るのです。

この絵で?背景に団地があるとか、木があるとかはあまり重要ではないと考えていました。それよりは、晴れなのか曇りなのかのほうが大事だった(ムードですね)。それと関連させ(できるだけ描く手間を省きながら)、「窓枠」で背景に変化を作れないか。窓から奥の “寒色系の色” と手前の壁、ポインセチア、テーブルの“暖色系” とどう 接着させるかを考えていました。