ポインセチア‐冬晴れ

       「ポインセチア・冬晴れ」 水彩、Water Ford 紙 (粗目、コットン紙)

今日も夕方から、急いで一枚描いた。一昨日の絵のバリエーション。モチーフはまったく同じ。ただ、いつもより細い筆を使って、細かく描いています。

ここ2~3年、毎年ポインセチアを描いていても、一枚も納得いく感じがありませんでした。それでも前回と今回とで、この(ブログのような)方向なら、多少攻略法が見えてきた感じがします。

こういう “実写” 的な絵でも、実は多くの「作為・フィクション」があります。決して見えるままに描いているわけではないのです。「創作」ですから作為は当然ですが、具体的にはまず、対象物を「置く」ところから始まります。背景を作るのです。

この絵で?背景に団地があるとか、木があるとかはあまり重要ではないと考えていました。それよりは、晴れなのか曇りなのかのほうが大事だった(ムードですね)。それと関連させ(できるだけ描く手間を省きながら)、「窓枠」で背景に変化を作れないか。窓から奥の “寒色系の色” と手前の壁、ポインセチア、テーブルの“暖色系” とどう 接着させるかを考えていました。

ポインセチア・冬の日

「ポインセチア・冬の日」 水彩、ファブリアーノ紙

ポインセチアの連作(練習)中。前回ブログのモチーフを作品にしてみた。絵画教室の窓から見える風景だ。この静かな冬の日のずっと向こうに、砲声が響き、多くの人々が無駄死(と言っては過酷だが)ともいえる死を半ば強制され、残された家族や人々の怒りや悲しみが毎日積み重なっていくのを考えるのもつらい。こんな平穏が、なぜそんなにも難しいのだろうか。

昨日、久しぶりに知人の個展などのため銀座へ行ってきた。忘れかけていた歩行者天国を歩くと、冬とも思えないほど “暑かった” 。汗をかいてしまい、帰りに風邪をひくのではないかと心配になるほど。中国語も増えてきた、英語も多く聞こえてくる。平和だなあ、と思う。一方で、観光旅行など一生縁のない人々も数億人はいる現実。そんな中で絵を描き、発表すること。何をどう考えたらいいのか、分からなくなる。

この絵は思ったより簡単に描けた。白い窓枠と、窓の向こうの木の枝にマスキング。ポインセチアを描いたあとは、奥の風景から徐々に色を重ねるだけ。フロアの板の幅は “適当” 。窓の向こうのアパートをもう少し低く描けばよかったな、と思うくらいで、まあまあイメージどおりにできた。

手の習作

「手の習作」 水彩

水彩クラスのリクエストで「手を描く練習」をやってみた。これはそのうちの一つのデモ制作。デッサンを描き間違えて、手前の手が大きくなってしまった。生徒さんからの指摘で気がつく始末。うーむ、そろそろ眼の手術考えないといけないかも・・。

水彩クラスは秋の風景への練習を終え?、人物画への練習中。今日は手の練習だ。指摘は正しく、そのこと自体も嬉しい。課題もそれぞれ自分なりにこなせていて、ずいぶん勉強してきたなあと、感慨深い。

油絵クラスはみんなマイペース。水彩クラスとはクラスの性格が全然違うのも面白い。それぞれがそれぞれの課題を抱えているのが良い。ただ、(プロではないから当然だが)毎日描けないのが辛いところ。毎日いじるって、大事なんだなあと今さらに思う。

でも、こなせるようになっただけではだめ。そこに自分なりの「魅力」を創り出さなくてはいけない。逆に言えば、全然こなせなくても「魅力」さえ創り出せればいいのだ。でも、魅力ってなに?どうやって?それが一番大事。でも、そこまでたどり着いた。ここからが「自分の絵」のスタートだ。まずは自分をよく見よう、そして頑張ろう。