画家という「ひとびと」

今日17:30頃、アップロードしました。見てね~
「Green-apple」 テンペラ F4

忙しい。といって、仕事をしているわけではない。「遊びに忙しい」?ってほど、優雅なはずなどないが、ゼニにならない時間を遣ってるということは、(世間的には)「遊んでる」っていうんだろうね。自分的には納得しないが、そう見る人はたくさんいるんだろうなっ、てのは感じている。

「Green-apple」。スキャン画像がこれだけど、600 (pix/inch) でスキャンしたのに、このピントの甘さはなに?まるで、眠ってるようじゃないか!なんてイラついてしまったが、冷静に考えると、いろいろ原因があるようです(絵の方はもちろん、ずっとシャープですよ!)。

先日、わたしより10歳以上若い、ある人気画家と話をした。「(美術)大学で理論とか技術とかいろいろ勉強したけど、結局、子どもの時にやってたことを大人になってもやってるだけってことなんですよね」「子どものときには解らなかった、絵を描くことの意味とか、知らなかった技法、技術。当時は使えなかった素材などを使って、あの頃の延長をやってるだけなんですよね」。そう、そう。そうなんだよね。

(世間的には)馬鹿というんだろうか?“純真”って言うんだろうか?どちらにしても、本人的には「どっちでもいいし、どっちでもなくてもいい」。やりたいことができさえすればいいし、できているなら続ければいい。続ける気がなくなるか、続けられなくなったら、それで終わり。それ以上あれこれ先回りして考ると、結局やれないことになってしまう、それが世の中というものかも。やれることを、やれるときにやる以外になかった人々、なんだろうね。

マチス「自由なフォルム」展から

有名な作品の「下描き」です(撮影が許可されています)
教会の雰囲気を作っています(たぶん実物大)
7日からの平日に備えてか、思ったほどの混雑はなかった(写真が許可されています)

昨日(5月6日)、久しぶりに乃木坂の国立新美術館に行ってきました。国画会を見るのが主目的でしたが、体調も良かったので、少し無理してマチスの切り紙を主体にした「自由なフォルム」展も見てきました。もう一つ、「遠距離現在」という現代アートの企画展も見ましたが、これは上の2つとはかなり異質で興味深いものですが、ここでは触れないでおきます。

巨匠と言われる人たちに共通していると感じるのは、みな「自分に対して」まじめだなあということ。ごく初期のデッサンの練習から、絶筆に至るまで、ほんとうに自分のやりたいことに向かって一生懸命なんだと、つくづく感じます。
 「自分に対して真面目」というのと、自分勝手、やりたいことをやればいい、というのとの間にはちょっと説明が必要な気がします。「自分に対して」と絵画の本質、つまり、自分が信じる、「絵画の歴史的な流れ=本流」の両方に対して、「謙虚だ」ということです。(勉強するか、直感かは別として)歴史的な洞察力が必要だってことですね。話は飛びますが、いわゆる現代アートこそ、そのことを踏まえないと、単なる “脱線事故” になってしまいます。

 マチスも途中までは普通の油絵、普通の陰影による肉付けで勉強しています。けれど、それが本当に自分自身を表現するのにふさわしいのか、疑問を感じながら描いているのでしょう。いくつも、明暗法を自分なりにアレンジしながら、方法を探っているのが分かります。凡庸な画家とはそこがすでに違うんですね。上手くなるのが目的じゃないんですよね。

やがて、陰影法が自分に合わないことがはっきりしてきます(別のかたちの立体表現を試みる)が、いろんなアレンジを自分でやったみたからこそ、どうしてもダメだという結論を出せたのでしょう。他人のアドバイスに頼ってばかりいたら、迷ってしまって、そんなことはできません。
 陰影表現が合わないとなったら、もう線と色の表現に磨きをかけるしかありませんが、陰影法をきっぱり捨てられたマチスは、そこから一気に本物のマチスになっていきます。真面目な、努力家なんですよね。―いつも長くなって済みません。

絵と“しゃべり”

02/13.18:00 アップロードしました。ご覧ください

懸案のビデオやっとアップできました。前回のアップ後一週間は、ビデオ関連のことは何もできなかったので、実質10日間編集にかかったことになる。特に3連休はまるまるこの編集のために消費してしまった。

ビデオのために絵を描く時間は、水彩の場合、長くても2時間。たいていは1時間ちょっとで終わる。描きながら喋ることができれば、ナレーションなど考える時間はほとんど不要だから、カット編集だけで一日あればできるかもしれない。そうすれば週1回はもちろん、2、3回というアップ頻度も可能にはなる計算だ。

でも、喋りながら描くということは、現実的ではない。まあ、デモンストレーションでは、部分的にややそれに近いことはできるが、下描きから完成までずっと喋っていたら、集中できず、絵の方ができなくなってしまう。ここ2作ほどは、ずっと喋りつづけているが、そうした方がいい、というアドバイスに従ってやってみている。ナレーションの言葉を考える時間は膨大だし、何より「絵を描くのに、こんなに言葉が必要なのか?」という疑問を拭い去れないままに喋りつづけている。しかも、1.5倍速を目指して、早口に。当然、楽しいはずもない。そもそも、自分が描きたい絵を描いているわけではなく、ビデオのための絵を描いているのだから、それに合わせるのは仕方ないことだろうけれど。

どうせビデオを作るなら、作っている自分も楽しめる方がいい。ストレスも減るし、モチベーションも維持できるし、なにより健康的だ。理想を言えば、誰かが、わたしが描いているビデオを作ってくれるのが一番いい。その出来具合に、時どき茶々を入れて笑い合うのがいい。そんな日がいつか来るんだろうか。