ハッチングは癒しの効果?

Capsule-2 (part) f4 Mixed-medium

1か月くらい前から、やたらにハッチングを多用している。ハッチングとは面相筆のような細筆で、細かく線で描き込んでいくテクニックのこと。薄い絵の具を何度も重ねて一本の細い線を描く。つまり一本の線の下には数本、または十数本の線が積み重ねられていることになる。

ハッチングは、油絵技法が完成する前の、テンペラ画に主に使われていた古典技法のひとつだが、現代では描写的、説明的との理由でほとんど使われなくなっている。私自身もここ数年は半ば封印状態だった。なのになぜ今になってそれを多用するのかといえば、頭よりも目と手だけ、時間と手間だけが膨大に必要な単純作業によって癒されるからだ。

震災の衝撃から1か月後、私自身にもひとつの問題が起きた。表面だけ見れば、私自身の判断ミスによる小さな問題のようだったが、その根は深く、私にとってはこれまでにない深刻なものになった。

精神的なショックで絵が全く描けなくなってしまった。人の噂や人の口。他人だけでなく自分をも信じられなくなり、これまでやってきたことがすべて無意味だったのではないかと強く感じた。新たな作品に気持ちを向けようとしても、そのことが頭から離れない。同時に、絵の方から厳しいしっぺ返しを受けたのだとも私は感じた。「生活のために絵画講座や絵画教室などを開き、いつの間にか最優先すべき絵のことをおろそかにしてしまった。これは絵が私に下した罰なのではないか」。

余計なことを考えずに細い線にひたすら没頭できるハッチングが癒しになっている。

シェルターの花

透明カプセルの中の花
シェルターの花 f6 mixed-medium

2010年暮れに「シェルターの男」という題の作品を5、6枚続けて描いた。初めは防波堤型のコンクリートのような壁の内側に立って?いる、男だった。そのうちシェルターの形が、少しカプセル状に変わってきた。そこへ今度の大津波と原発事故!何ですか、この恐ろしい一致は!

カプセルのヒントは花粉症の人のためのアイデア、宇宙服の顔部分のイメージ。なのに公開の時期によって、この絵は放射能を暗示していると多くの人が思うに違いない。以前、山から元気よく真っ赤になって下り降りる雲のシリーズを描いた。そしたら雲仙普賢岳が爆発し、絵とそっくりの火砕流が毎日テレビで報道され、私はそれを見て描いていると、殆どの人がそう思ってしまった。それより何年も前から描いていたのだが、テレビの力に吹き飛ばされてしまった。表現の力不足だった。

今回もそうなるかもしれないが、これはあくまで私のイメージ。実際の花のスケッチや、高山の厳しい気候に対応する植物の驚くべき機構など、いろいろなものを組み合わせて、実際に在っても不思議ではない存在感として見せたいという思いは、人間だか鬼だかわからないような「男」の存在感と同じ。今回はもっともっとイメージを練り上げ、テレビに負けない表現力をつけたいと思っている。

少しずつ制作が進んでいます

大震災以来、気持が集中せず、遅れていた大作がだいぶ進んできました。

二月末頃、大作のアイデアを決めた。空を海に見立て、そこから滝のように水が落下する、大洪水のイメージ。その海の中に、今目覚めた巨人がゆっくり立ち上がろうとしている。滝のように落下する水は都市の真上から滝のように落ち、湧きあがり、こぼれ落ちていく。リアルなイメージがはっきりと脳裏に浮かんでいた。

3月11日、そのイメージが突如現実のものになってしまった。ショックもあり、そのままの構図、構成ではリアル過ぎて、とても描き始めることができない。当初の2.1m×5.4mを半分のサイズにして2点制作することに変更。タイトルは変更せず「シェルターの男」。シェルターのイメージも昨年から展開中だが、福島原発事故が現実に進行している今となっては、時事的な話題を捕えた、付け焼刃のイメージに受け取られるかも知れない。予言的な作品だが、仕上がりが事故より後になるのが悔しい。

「雲湧く谷間」のシリーズも10年続けたが、赤い雲が、山頂から谷を下ってくるイメージが、途中で発生した雲仙普賢岳の噴火、その火砕流とそっくりだったため、時事的な絵と見做され、結局シリーズを止めざるを得なかった。ある意味で予言が的中し過ぎる不運であるが、まさに運であるため私にはどうすることもできない。

それなら次は一億円当たった絵を描いてやろうと思ったが、具体的なイメージが湧いてこない。当たる確率は無い、ということか。