私たちの才能

つるこけもも 水彩 F6
つるこけもも 水彩 F6

サヴァン症候群という、かつては特殊な自閉症の一種と考えられていた、脳の機能障害がある。様々なケースがあるようだが、簡単に言えば見たままを写真のように記憶するという「症状」がよく知られている。

絵を描くための、形を正確に捉える訓練にほとんどの人が相当苦労する。私ももちろんその一人。そういう人たちから見れば、それは「障害」というより、羨ましいような「才能」に見える。ヘリコプターで上空から一目見たニューヨークや東京の風景を、大小の建物やその高さ、街路などをそのまま写真を見るように長大な紙にスラスラと描き出すことで超有名な、スティーブン・ウィルトシャーなどがその典型だ。日本の山下清もそうだったらしい。

ただ、彼らには新しい画材の工夫や、描画技術の向上というものは基本的に出来ないらしい。そのための理論的な理解や想像力といった、別の「脳力」が与えられていないからだと言われている。

正確なデッサン力も無く、色彩や明度の微妙な差を捉える才能に恵まれなくても大丈夫。観る人の99.9%はそのような私たちの仲間である。0.1%の眼力ある鑑賞者も、たぶん作者の表現しきれていないところまで深読みしてくれる、という楽観さこそ私たちの大いなる「才能」だから。

逆光の窓辺

 

逆光の窓辺 水彩 F6
逆光の窓辺 水彩 F6

逆光表現が最近特に好きになった。理由はよく解らないが、たぶん光がきらきら眩しい感じになるのが好きなのかも知れない。

お手軽な描き方。デッサンも30秒くらい。でも、絵にとって一番大事なのは画面から発散するイメージで、手間や材料ではない。でもお手軽に描けるようになるまでの膨大な訓練時間は、私には必要だった。

 

水彩は小さめの作品に向く

ポットのある静物(部分) 水彩 F6
ポットのある静物(部分) 水彩 F6

私自身にとって水彩は一つの新しい可能性だ。これまで水彩の難しさだと思って敬遠してきたことが、実はことごとくそれこそが可能性だと思えるようになってきた。

たとえばもっとも難しいのが、水彩絵の具の濃度調整。常に最適の濃度を作り出すことは至難の業だが、逆に言えばそこに個人の感覚の閃きのようなものが反映されやすい。失敗と成功の紙一重の不安定な状況が最初から最後まで続くのが水彩だが、それが自分の感性を開く可能性と表裏一体だと感じてきた。

それにストロークの個人差。油絵のタッチに相当するが、ぼかし、滲み、跳ね、かすれなど油絵より数段繊細で、かつよく見れば大胆簡潔。それが水彩の魅力の一つだと次第に分かってきた。

けれどそれらは大画面では見えてこない。理由は絵の具の層が薄いことが一つ。薄いうえにカラフルだからでもある。でも、それは水彩の欠点ではない。画面を小さくすれば、それらのすべてが見えてくるのだから、小さくすればことは足りるのである。水彩は小画面にもっとも適したメディアだと思う。