能力

「デンドロビウム」 水彩

最近いろんな能力なくなったなー、とか口癖のように話し、書いたりするようになった。実際、そう感じるようになったからだが、実は人間の能力なんて、そう簡単には比較したりできないものらしい。

人間と他の動物との能力差ももちろん単純比較などできない。「霊長類」などと自らを勝手に最上位に評価して威張っているが、比べる項目自体、人間目線でしかない。人間から見て比較しやすいところしか、人間には見えていない。その人間の中でも、特定の能力、たとえば学習能力(この言い方もあいまいだが)、運動能力、etc,etc.ひところ流行った、○○力なんてのもその類だ。だから、本当はわたしもそう落ち込む必要なんかないはずなのだが。

海辺に棲む、ゴカイという、せいぜい十数センチほどの生き物がいる。磯にいるムカデと思えばイメージは近い。捕まえて釣り餌にするのだが、このゴカイに、血が出るほど噛まれたことがある。
 驚いて口の部分を見ると、小さくても立派な牙がある。だから、“捕まえたら直ちにハサミで頭を切り落とせ” という、かすかに覚えていた教えの意味を、その時初めて了解した。しかもコイツをじっと掴んでいることもできない。どんなに強く握っても、まるで鋼鉄で出来たスブリングかコイルのような感じで、グイグイ指を押しのけ、指のあいだから抜け出してくる。岩にびっしり生えたイガイ(ムール貝によく似た小型の貝)の隙間?に簡単に潜り込んで行けるくらいだから、人間が指を閉じる力など問題にしないのだ。

こんなすごい能力を、人間的に評価しても何の意味もない。人間は走ったり、泳いだりできるから、ついチーターと比べたり、イルカと比べたりするが、たとえばゴカイのような恐るべき能力などに、人間の想像力の方が追いつかない。イカだのタコだのが、体表面の色素を広げたり縮めたりして、身体の色を変えるのは多くの人が知っているが、それを人間の尺度で評価する意味は同じくゼロ。ただただ、スゲーというしかない。地球はそんな生き物で溢れているのだ。
 だから、わたしたち老人というイキモノもそう卑下しなくてもいいのかもしれない。もしかしたら、ボケだって、視点を変えれば、立派に獲得された能力なのかもしれないではないか。社会的弱者などと親切を装った、体のいい強制退去を目論む、企業、政策目線からの一面的な評価に甘んじる必要など、ないのかも知れないね。

アヤメとアイリス

「ジャーマンアイリス」 水彩
コアヤメ
模様の拡大

アヤメとアイリスの時季になった。それにアジサイが加わって、青い花が増えるのが嬉しい。わたしは花が好きだが、特に青い花が好きだ。けれど、花全体の中では(たぶん)青い花は少ないのではないか、と思う。だから、ガクアジサイなどが至る所で見られる、この時季がいい。そういえば、矢車草もこの時季ではなかったかな。あの色も好きだ。

アヤメと菖蒲の違いはよく話題にされるが、「綾の目」のような模様があるのがアヤメだと、たいていの本に書いてある。そして、たいていは、その「綾の目」なるものがどういうものかについては、写真がない。

ジャーマンアイリスを何枚か描いた。そのうちの一枚の制作を撮影し、「リッチな色彩を考える」として、現在、ビデオに編集中。早くアップしたいけれど、今月はとても忙しいんです。
 それに前回のビデオ製作に疲れてしまい、アップロード後、4日間くらいは次のビデオのことを考えるのも億劫なほどだったので、すべてが遅れ気味になっている。そのため、昨日も絵を描かなければならないのに、結局一日中ビデオ編集に追われた。坐ってばかりだから、脚の血行が悪くなり、あちこちがつってしまう。

散歩道に、「コアヤメ」が咲いていた。コアヤメというのが正しいかどうかは分からない。グーグルレンズを向けたら、そう出ただけ。それが上の写真。目立たない、小さめのアヤメだが、間近にみるときれいだ。これが「綾の目」?コアヤメだから、ちょっとちがうかもしれないが。日本の、というより、もっとオリエンタルな感じがする。

絵と“しゃべり”

02/13.18:00 アップロードしました。ご覧ください

懸案のビデオやっとアップできました。前回のアップ後一週間は、ビデオ関連のことは何もできなかったので、実質10日間編集にかかったことになる。特に3連休はまるまるこの編集のために消費してしまった。

ビデオのために絵を描く時間は、水彩の場合、長くても2時間。たいていは1時間ちょっとで終わる。描きながら喋ることができれば、ナレーションなど考える時間はほとんど不要だから、カット編集だけで一日あればできるかもしれない。そうすれば週1回はもちろん、2、3回というアップ頻度も可能にはなる計算だ。

でも、喋りながら描くということは、現実的ではない。まあ、デモンストレーションでは、部分的にややそれに近いことはできるが、下描きから完成までずっと喋っていたら、集中できず、絵の方ができなくなってしまう。ここ2作ほどは、ずっと喋りつづけているが、そうした方がいい、というアドバイスに従ってやってみている。ナレーションの言葉を考える時間は膨大だし、何より「絵を描くのに、こんなに言葉が必要なのか?」という疑問を拭い去れないままに喋りつづけている。しかも、1.5倍速を目指して、早口に。当然、楽しいはずもない。そもそも、自分が描きたい絵を描いているわけではなく、ビデオのための絵を描いているのだから、それに合わせるのは仕方ないことだろうけれど。

どうせビデオを作るなら、作っている自分も楽しめる方がいい。ストレスも減るし、モチベーションも維持できるし、なにより健康的だ。理想を言えば、誰かが、わたしが描いているビデオを作ってくれるのが一番いい。その出来具合に、時どき茶々を入れて笑い合うのがいい。そんな日がいつか来るんだろうか。