病院は人間の学校 / Human school

新雪が少し降ったらしい

今日も病院へ。今朝方の新雪で、風景がまた化粧し直した。車の人は顔をしかめるだろうが、ただ見るだけの私には大きなプレゼントだ。雪が降るたびにそれを貰える、有難い暇人だ。

病院に来ると、ふだん意識しない呼吸や、食物を口に入れる、噛む、飲み込む、消化、吸収、排泄という毎日誰もがしていることの有難さを再認識させられる。そして死も。病院は「人間の学校」でもある。

「有難い」ということは、感謝すべきだという意味ではない。文字通り、「有る」ことが難しい(難い)という意味だ。私たちはつい医学の進歩とか社会制度とかを過信しがちで、死についてもそのぶん何となく余裕ができたような気持ちになりやすい。

その過信を、病院は時には一層過信させ、時には簡単に打ち砕く。人間が生き物であり、動物であり、微妙なバランスを取りながらロープの上を滑る、やじろべえであることを病院は教えてくれる。

波のように / As waves

太平洋 2018/1/1

元日の海は6年ぶり、かな。夕日がずっと沖の雲に当たって輝いている。そこからうねりが押し寄せ、盛り上がり、波になってぶつかってくる。永久に続くエネルギー、時間が見えるように感じられることが、見飽きない理由かも知れない。

ジェット音のような凄まじい潮騒。どんな凪の日でも途切れることはない。波に煽られ、顔に吹きつける海風。こんな凄いことにもすぐ慣れるなんて、どういうことなんだろう。

途切れないエネルギーのそばで、一つの命が消えようとする。ちっぽけなものだ。ちっぽけではあるが、波と同じように全く同じものは一つもない、たぶん。違うということに価値があるならば、波は限りない価値を生み出し続けていることになるが、そうだろうか。人の人生も大同小異。そこにどんな意味づけが可能なのだろうか。

開けましておめでとうございます

元旦 2018

2018年が始まりました。皆さん、開けましておめでとうございます。今年も、今年こそ、の人それぞれに良い年になりますように。本年もよろしくおつきあい下さいますよう、お願いいたしますm(_ _)m

東通村はこんな朝7時を迎えました。華々しくはないが、暖かく、風もない穏やかな朝です。

昨夕、ぷらりと外に出ると鴉(カラス)が川の浅瀬にたくさん入り込んで水浴びをしていました。年越しの清めですかね。その対岸の藪にヒョッと動くものあり、じっと見ているとタカの類です。しばらくして、集まったカラスのあいだを山の方へ飛んで行きました。

図鑑を見るとオオタカの幼鳥のようでした。今日だったら縁起が良かったのですが、まあ、良いことを先取りできたということにしておきます。