下北の黄貂(きてん)

黄貂(きてん)。まだ若い個体だった

85歳の叔母がペースメーカの埋め込み手術をしてから今日で4日目。むつ市まで見舞いに行く峠の道で、路上に横たわる黄色のものを通り過ぎた。「黄貂だ」。中学生の頃、私も何度かわなで捕獲したことがあったので、すぐピンと来た。

カーブの坂道に沿って車をバック。肉付きのしっかりした、まだ若い個体だ。しかも車に撥ねられた直後らしく、まだ体は生暖かい。どこからも血も体液も流れていない。脳震盪程度であればいいと願ったが、残念ながら瞳孔が開いていた。

貂(てん)はイタチ科テン属の肉食動物。茶色や黒の毛色のものが多いが、下北産の黄貂は特に冬は非常に美しい黄色で知られ、かつては高値で取引された。この黄貂はまだ成長途中で、しかも夏毛だからそれほどには見えないが、黄色の根元の毛は白かったので、成長したらきっと美しい冬毛になったに違いない。数十年ぶりにみる野生の黄貂だった。

野生動物の保護は今では世界の趨勢。私も再び捕らえたいなどとは思わない。が、もう一度、降りしきる雪の中で、野生のあの美しい黄色を見たいとは思う。誰かが拾ったか、鳥か動物が咥えていったか、帰り道にもう姿はなかった。

年頭の誓い

交叉する影(スケッチ)

そろそろ数え日の時期になってしまった。一年の終わりころになって、やっと年初の誓いを思い出すなんて、誓い違いも甚だしい。

今年は「自分らしい風景画」を1枚は描くぞ。そんな誓いを密かに立てていたが、いつのまにか「描きたい」という願いにすり替わっていた。「願い」では弱い。「誓い違い」であっても、やはり、誓いでなくっちゃ。「来年やろう、来年」。そうやって何年も、何年も持ち越してきた「誓い」や「願い」が積み重なり、その重みでもう胸が押しつぶされかかっている。

年末になると、いつもそんな「出来なかったこと」のオンパレード。私の、ペースメーカーに守られたハートもチキン、チキンと痛む。来年は頑張るけど、その前に今年の残りはどうする??大臣、高級官僚並みの記憶喪失症に、私もなりたいな。

こいつらをどうしよう?

まだ12月だぜ

アトリエ内の植物が、なんだか変に元気になってきた。先月末、朝夕の気温が下がり始めたので、仕方なく外からアトリエに入れた、寒さに滅法弱いやつら。ホニャホニャと力無く伸ばしていた枝もバチバチ切って、サイズを縮めて。文句は認めない。

当然だが、アトリエは熱帯植物園じゃない。温度一定など出来るはずもないし、制作の邪魔になれば寒くても隅っこに移動する。私は暑がりだから、暖房もしょっちゅう切る。さすがに飯(水)抜きでは可哀想だから、水やりだけは土の乾き具合と、植物の顔を見て、「どうする?どのくらい欲しい?」と聞いてやる。欲しいという量の70%くらい。葉っぱの面積、それぞれの実家の気候、鉢の大きさ(100%私の都合なのだが)は一応按配し、必要量を1日おき。ぜいたくなどさせない。

なのに、なぜ?なぜかやたら元気がいい。あちこちから新しい芽や葉なんぞ出しやがって、これからが本格的な冬だと解ってんのか?植物だって確か80%以上、ゲノムが人間と共通しているはずだぞ。どうすんだ、おめえたち。俺は責任持たねえぞ、てめえの新しい芽なんかに。