壊して作り直す

      「満月夜」 ミクストメディア F4


 「見立て」という語がある。一本の突き立てた人差し指をエッフェル塔に「見立て」たり、丸い顔を月に見立てたり(あるいはその逆も)する、アレのこと。日本のプーチンとか、日本のトランプとかマスコミが使いたがる、あの感覚。象徴とか比喩とかにも近いが、もっと視覚的で直感的だろうか。

この絵では青いリンゴを満月に、最も実に近い部分の葉を何かがそこから羽化する、その羽根に見立てている(「絵」を説明しちゃったなー。最悪!)。「見立て」は見る側との「意味の共有」がなくては成立しない (文化的)手法であるから、必然的に、鑑賞者に対して最低限そこまでの想像力を要求することになる。
 たとえば、月と芒(ススキ)を描けば、それは「秋のことだな」との「季節感覚」を要求する。鑑賞者が日本人だけならそれも共有できる可能性はあるが、一年中砂漠とか、ススキなど見たことないという地域の人に、そんなこと言っても通じると考える方にむしろ無理がある。

この場合はどう?作者はAppleのつもりで描いているが、他の果物に見えたとしてもべつに問題はない。問題は、葉っぱが出るタイミングが、Appleが「果実」である時期と、それが腐り、栄養になって次の双葉が出るまでの「時間差を省略」していることを、鑑賞者が容認できるかどうかに賭けていることにある。鑑賞者の心理も「見立てて」いかなくてはならないってわけですね。

現代の(陸上競技の)ハイ・ジャンパーは、見る側(カメラ)にもそれにふさわしい高さで見ることを求めている。わたしもそうありたいと思いつつ、残念ながら、この絵では、そもそも作品のジャンプ力が足りず、説明的で、そのうえ迎合的だった。つまり、つまらないジャンプだということ。
 この絵にもう一度ジャンプ力を与えるチャンスは無いのか・・もう一度壊してから作り直す。それが一番早いし、それしかない。

春の雨

             「羽化」(制作中)   F4 ミクストメディア

今朝は雨。このあと関東平野部でも雪が降るかも、と天気予報。ここのところずっと乾燥続きだったので、ドカ雪でもなければちょっとくらいは「慈雨」になりそう。岩手県大船渡市の山林火災は、3月3日(今日は雛祭か)午前8時現在でまだ沈下していないようだからそちらにも降って欲しい気持です。

木の芽がだんだん膨らんできているのが分かります。公園の木々の枝先が生気を帯びてきているのを遠くからでも感じることができます。春ですね。地球は今日も廻り続けています。

目がショボショボです

とりあえずアップロードしました。ご高覧あれ

野生の動物だって目がショボショボになることはあるはず。だいぶむかし犬を飼っていた頃、何度か犬が眼病にかかり、目薬など差した経験からもそう言える。猫もそうだった。カメレオンなどある種のトカゲは自分の下で眼を舐めてきれいにする。複眼を持つトンボも、よく見ると前足でしょっちゅう目を撫でている。もっともあれは「眼精疲労」などではなく、たんにゴミ?を掃っているのだろうけど。

動物も病気にかかるけれど、たぶん「病気」という概念はないだろうから、たんに「苦しい」「痛い」という「感覚」の中だけにいる。もちろん医者など知るわけはないから、調子が戻るまで、ひたすらじっと耐えている。

いちど、子犬が車に轢かれそうになったことがある。雪道で、チェーンを巻いた車の中に跳び入ってしまった。下敷きになるのは免れたが、回転するチェーンの端っこが眼に当たったらしく、キャンキャン鳴きながら、大きな下駄箱の奥の方に潜り込んだきり、出てこなくなった。食餌も取らず、じっと奥に潜んだまま数日。やっと痛みが薄らいだのか、空腹が勝ったのか、出てきた時は眼窩の一部が切れて晴れ上がり、眼球は白く濁ってしまっていた。―これは失明する―と思ったが、当時は動物病院などという洒落たものはなく(そもそも人間の医者さえいない「無医村」だった)、ただ見守るしかなかった。

驚いたことに、成長期だったせいか、数カ月で眼の白濁はすっかり消え、視力も回復した(ようだった)。自然の治癒力の凄さを見た思いで、今もよく覚えている。
 遠くをぼんやり見る―それが一番目を休めると眼科医に聞いたことがある。いま自分がやっていることは、その真逆。ショボショボになるわけさ。