腐っても鯛

鯛のカブト焼き

「腐っても鯛」という言葉が今も(本来の意味通りに)使われているかどうか、甚だ心もとない。「鯛は腐りやすい」とか「鯛は高級魚なので、もったいないから腐っても食べる」という意味だ、という珍答(怪答?)をどこかで見た記憶があるからである。

「腐っても鯛」を辞書で引くと「本来高い価値を持つものは多少悪くなっても品格がある」というほどの意味だとある。少し前になるが「武士の一分(いちぶん)」という映画があった(藤沢周平原作、山田洋次監督)。武士にとっては屈辱的というほどの仕事をさせられてはいても、心の中の武士の魂は失わないという男の姿を描いていたが、最近、そういう心情がやっぱり大切だと思っている。

特に芸術と呼ばれるものには高い価値観が不可欠ではないか。「お高くとまる」などと揶揄されることも多いが、それなりの品格を秘めたものからでなければ深い感動は得られないという気がする。一見ゲテモノ風であったり、エロティック、あるいは子どもじみた風貌であっても、ある種の気高い鋭さというか、底光りする輝きというか、そういうものを求め、内蔵していないものは結局本物ではない。それに気づき、磨き、身につけた人だけが、そこにたどり着けるもののような気がする。けれども、そこに至ったとしても、気づかない人々にとっては「腐った鯛」に過ぎないかも知れない。

わたしは鯛が好きである。腐った鯛はもちろん食べない。刺身もいいが、どちらかと言えば頭、カブトの方が好きである。面倒だからお吸い物にはしない。ひたすら単純なカブトの塩焼き専門である。そして目玉から食べる。刺身は一つの味しかなく、それもワサビと醤油のレベルに左右されるが、頭には数十種類の異なる味、触感があり、刺身の比ではない。そしてそのいかつい顔に似合わない上品な味。丁寧に鱗を取り、上手に焼けばその皮もまた味わい深い。まさに腐っても鯛、なのであるが、食べるには少しでも鮮度の良いカブトを選ぶのがよい。

今日は少し強気


Apple by a book 2021 mixed media

これじゃダメかなと気弱になったりしながら、この作品は結局これで終了とした。一昨日に比べ、細かいところで何となく納得がいくように調節できた。けれどいちばん変わったのは気分。今日は幾分か強気のところがあるのでOKできた。

完全に満足ということはないが、この作品に関する限り、これ以上加筆しても、今以上良くはならないだろう。さらに加筆するより、新しく描いた方がこういう場合は間違いない。9月1日掲載の制作中の絵と比べても、良くなったかどうかは見る人次第。

青の縁取りは、AppleもBookも同じ色にしてある。そのため、この2つはおなじ輪郭で囲まれた一つの平面になっている。テーブル(らしきもの)のエッジ(らしきもの)も同じ色。本の輪郭とテーブルの縁が同じ色なので遠近感はきわめて曖昧=平面的になった。小さく小分けされた各輪郭線内部の色もなるべく平坦に塗ってある、ように見えるが、こまかいところで単純な塗りではなかったり、明暗で立体感を作ったりして、若干混乱することを想定して描いている。それが「良い試み」かどうかは、今の段階では判定できない。

CGスケッチ

「マイ・カメラ」(CGスケッチ)  30 Aug 2021

30秒のコマ送り動画で、動画撮影用にセットしたマイ・カメラのCGスケッチ。実際にかかった時間は2時間弱。意外に時間かかりました。スケッチブックに鉛筆+ペンなどで描いた場合と比べ、どちらが早いかは「微妙」。早さを別にすればそれぞれの利点は明らか。CGは他の媒体に利用できるし、スケッチブックなら確実に手もとに在る。

それなりに一生懸命描いているとはいえ、後で見直したときに、ここはもう少し描き込みたいとかあるのが普通だと思う。そんなとき、後からいくらでも描きなおし、加筆可能なのがCGのすごいところ。でも、CGで描いたことのない人には、たぶんその「すごさ」がたぶん伝わらない。実際に CGスケッチの体験をしてみるしかないが、それなりに高価でもあるし、パソコンに苦手意識のある人(わたしもだ)には、抵抗感もあることは理解できる。

このスケッチは、右側窓からの自然光。スタートは遅く、午後3時ちょうど。ライトは左なので、スケッチを終えるまで点灯できない(光線方向が真逆になる)。夕方の自然光の減衰を考えると、かなり急ぎ目で描かなくてはならない(明日にすればいいだけなのだが)。「日没は6時30分ちょっと前」と頭にタイマーをセットする。

最初の3秒間。「初めは大雑把に全体をくくるんだな」と見て貰えれば嬉しい。