チョコブラウニーを描く

チョコブラウニーを描く(水彩)

金曜日の水彩クラスでのモチーフ。久しぶりに実材(実際の絵の具)でのデモンストレーション。教室の開始前に鉛筆デッサンをしておいたものの、クラスの時間内に色を着け終わることはできず、結局深夜まで。日をまたいでやっと描き終えた。

技術と想像力の関係は鶏と卵のようなものらしい。「初めにイメージありき」が論理的には理解しやすいが、「技術がなければ想像することも難しい」とあのパウル・クレーが言うと、「そうなのかー」と現実を突きつけられたような少し苦しい気持にもなる。

上手になるには一定の訓練が要る。それは誰の眼にも判りやすい。だから多くの人は上手(な絵)を賞賛しがちだ(そこしか分からないからという人もいるが)。そうした中で、一種の成功体験が次への励みになる人は多いと思うけれど、皆が皆、そういう流れの中にいるとは限らない。

明快なものは他人にアピールしやすいだけでなく、自分自身でもスッキリして気持ちがいい。でも、世の中そんな単純な人間やことがらだけで満ちているわけじゃない。うじうじ、むにゃむにゃが心のどこかにあるのがむしろ普通ではないか。そうした心の状態に耐える、それがすでに力になっているのではないか。かつて数学者の森敦氏が「すぐ答えの出るようなものはダメだ。何日も考えても答えが出ない。『考え続ける力』が数学には必要なんだ」と言っていたのをふと思い出した。

チョコレートは研磨材‐さくらクラブ 2

N さん

かたちを正確にとるのが苦手なNさんは、そのぶん?技法や素材研究にはひときわ熱心である。その探究心は趣味で絵を描くというより「研究者」のようだ。今回はともかくかたちをしっかり、などと言っていたが、バッチリでしょう。チョコレートもいいがグミ3個はこの人らしい研究心から。存在感すごい。

H さん

Hさんのスケッチは「原寸大」。きっちり計測して描いてある。実物は小さいので、それを原寸大で描くと、筆では描けそうにない細密なところをどう表現するかが問題になる。そこはスルッとスルーして、原寸大2枚目にチャレンジ。こだわりのナイスガイである。

T さん

なぜかIさんの絵の写真がない。確かに撮ったはずなんだが、うっかり削除してしまったかも。急遽、土曜日からT さんの絵を。T さんも自ら公言する細かい描写の苦手な人。でも、あっさり系ではなく、どちらかといえば「こだわり系」かな。それがいつも一種の迫力に至るのがこの人の個性。器用さ、ではこの重量感は出てこないのではないか。

どこにでもある題材を手あたり次第(でもないが)に描くシリーズを各クラスでやってみた。作者本人の満足度はともかく、それぞれのこれまでとはちがった新しい面が現れてきたのは大きな成果だと、わたしは感じている。わたし自身にとっても、いくつも発見があった。ダイヤモンドも、いくつもの方向から磨かれるから「宝石になる」。同じ方向からばかりの研磨ではただの板ガラスになってしまう。機会をとらえ、何度でもチャレンジしよう。

スター☆はそこら中にいる

モニターの前に勢ぞろい―邪魔なんだが。

ごく最近の「青いかもめ(ブログ)劇場」の出演者たち。照明は悪いのに、皆さんいい顔してますねえ(作業中は単なる邪魔者にすぎない)。

スペースの都合で登場してないやつとか、撮影に間に合わなかったやつ(そうだ、さくらクラブの神戸チョコレートとグミ、どこに隠れた?)とか、「スーパーマーケット」シリーズ最初の、妻に隠された(らしい、自分の物忘れを他人のせいにする)すぐりの会の「湖池屋ハッシュドポテト」などなどなど、どこだ?

これから登場する可能性のあるやつも、早くもチョイ出ししている。いつかアナタの眼の前に出ていくぜ。と、偉そうに手前でアピールしている Bossのコーヒー缶には現在出演依頼を躊躇。確かに魅力たっぷりだけど、「(おれ、ホントは)難しいよっ」て顔してるじゃない?

店頭でどんなにウィンクしてくれても、水彩、油彩それぞれ、どんな手順を踏めば描きやすいか、吟味が要るんだよなー。迷っちゃうけど―“流し目”に単純に応えているわけじゃないンダよね。―でも、さすがデザイナーたちの手腕と消費者の厳しい批評眼を経ているだけあって、どれも魅力的。こちらのやる気さえあればいつでも出演OK! (^^) !だってさ。