人形

人形 (水彩)

昨日、今日と「Apple-田園」の制作を休み、昨日は国立新美術館、今日は教室とそれぞれの時間を過ごす。制作中断は絵の具の乾燥状態に合わせて。

美術館へは久しぶりどころか、電車に乗るのも久しぶり。コロナ禍下、政府とその下で医療提言を行う専門部会とやらの提言のおかげで、一定の医療破綻は免れたらしい。一方で、過度の「外出自粛」ですっかり滅入ってしまった精神状態と、「移動・集合の制限緩和」というブレーキとアクセルを交互に踏むような政策による解放感とのあいだで、一種の分断が起きてしまっているようにも見える。

体長20㎝ばかりの、外国製の人形。その頭部の水彩スケッチ。十年以上前、誰かに頂いたものであることは間違いないが、書いてあるスペイン語のほかの情報はすっかり忘れてしまった。人形は漫画と似て「目が大きいのが決まり」だが、この人形の眼は一般の人間サイズ。しかも(「ぷっくり」というより)「ちょっと太りすぎでは?」というところが、妙にリアルで気に入っている。

色、使い過ぎ?でも、もっと使う

Apple-田園 (9月21日終了時)

今日は早起きして整形外科へ腰と指の腱鞘炎のリハビリ。早起きしようとしまいと、結局午前中の時間はクリニックで遣い果たしてしてしまう。待合室で待つ間、4人がけソファのわたしを間に入れた3人のおばあさん方は左右(どころか看護師を含む院内の半分くらい)顔見知りらしく、おしゃべりの途切れる時間が一瞬もない。自家産野菜を大きな袋に持ってきて、知り合いと交換ごっこなど、まるで「道の駅」。わたしは、彼女らの間で(出来るだけ小さくなって)ずっとiPadでエスキースを続ける。時々チラチラと「違和感のある存在」を見るような視線を感じながら。

一見すると、絵は昨日とほとんど変わらないように見えるでしょうが、2度塗り、3度塗りしているところもあって、全体としては結構順調に進んでいるんですよ。むしろ順調過ぎるくらいで、こういう時に限ってトラブル(例えば8月中のようなひどい腰痛とか)が起きやすいので、早めに進めておかないとヤバイことになる経験は豊富。

右上の葉っぱの部分は、普通に緑色にする予定だったが、テラ・ロサと白のピンクがあまりにきれいなので、「色だけ」このまま仕上げまで持っていくことにした。その反面で、いったん「保留」にせざるを得ないところも当然、ある。伝統的な油彩混合テンペラでは、途中で何度か薄い透明層を施して画面の堅牢化と色の統一感を図る(グラッシという技法)が、この絵ではそういう方法を使わず、ある程度バラバラなまま、途中で造形要素個々のチェックをしながら進めていく。それがわたしのテンペラ技法。

「建長寺を描く」のスケッチ動画

YouTube 1周年の今日、上記動画をup road しました。スケッチ動画ですが、現場で実際にスケッチしたときのものではなく、スケッチブック上での一種の再現です。スケッチした当時は、YouTubeに動画を載せるなど頭の片隅にもありませんでした。

小さなスケッチブックはアトリエの中のあちこちに積んである。チラッと見るたびに「最近スケッチに出かけてないなあ」と、心の中でなにか空白が広がっているような焦燥を感じます。

スケッチに行きましょうと誘う動画を作りながら、自分自身はさっぱり出かけなくなった。これは良くないですね。気晴らしと運動を兼ね、「秋にはスケッチに行こう」と、出不精の自分を少し変えなくてはと思いました。