失敗がマイ・ウェイ

若い人(水彩スケッチ)

水彩スケッチをしながら(今回はカメラで)ビデオ撮影。途中でディスプレイを見るとちゃんと動いている。「しめしめ、今度は上手くいくぞ」。スケッチ終了とほぼ同時にバッテリーゼロ。危なかったがとりあえず動画は撮れた。ヤッホー。

帰宅してビデオを見てみる。確かに一応観られる。けれど、なんだかぼわんとしている。ピント合ってないじゃん!

もちろんピント合わせはしたつもりだったが、斜め上からの撮影だし、ピント合わせの状態では紙はただ真っ白で、ポイントになるものは何もない。中央に一本、線を描いて、それにピントを合わせる、途中でも、カメラを三脚から下ろして再度ピント確認するべきだと感じていたのに、セット全体のズレを恐れてそうしなかった。そもそも使っているカメラの様々な機能、メニューがよく解っていないうえ、扱い方にも不慣れだ。まだまだ失敗と反省を繰り返し、積み重ねていく実践以外に上達の方法はなさそうだ。

撮影に気をとられ、肝心のスケッチが心もとない。顔も全然似ていない。実際のモデルさんの方がはるかに若々しい美人である。なんたってまだ19歳。描いていると、自分もいくらか若くなってくるような気がするから不思議だ。もうちょっと失敗する時間があるように思えてくる。

アップロードできない!

玉子入れとポット

たとえば「水彩画の色の着け方」なんて、それぞれ好きに塗ればいいだけのことなのだが、誰かの、何かの参考にしたい人は非常に多いらしく、YouTubeを見ればそれが一目瞭然。こんな描き方しているよ、とアップロードして、それが人気になるとそれだけで生活ができる、どころか大金持ちになる人もいるのだそうな。

「大金持ち」も羨ましいが、それより今はそんなに簡単に(そう見える)アップロードできる、その「動画制作のノウハウ」に長けているのが、まずは羨ましい。

「スマートフォンだけでも簡単にYouTubeにアップできる」という言葉につられ、そして実際にそういうものも見ているから、とうとうわたしもやってみようと挑戦した。じつはすでに何度かチャレンジし、その都度失敗という経験の結果、上の絵の制作を動画で撮ることがなんとかできた。それをまる2日かかって、ipadで編集。サムネイルと呼ばれる見出し画面も作り、ナレーション、BGM、テロップも入れ、動画が完成。やったー!さあ、YouTubeにアップだ!

ところが、アップできない。動画は完成している。なぜだ?―結局「立派」過ぎたらしい。23分22秒。2ギガを少し超える、このサイズが大き過ぎるらしい、としか考えられない。お祭りの一場面を映して、YouTubeにその場でアップ―そんな使い方が想定されているのだろうとは思っていたが、まさかアップできないとは想像外。iPhone, iPad の限界なのだろう。残念ながら自分一人しか観ることのできない、幻の動画公開となりました(がっかり)。次回こそ、ご期待くださいませ。

人物スケッチ

人物スケッチ

現代の絵画を大きく分ければ、まず具象と抽象に分けられる(ごく一般論として)。具象をさらに人物画、風景画、静物画の3つのジャンルに分けることもできる。教室の人たちはどうやら人物を描くのが好きらしい。

ひとくちに人物画と言っても、内容や描きかたは作者ごとにかなり異なる。まず、対象人物の個性を描写することに興味があるタイプ。もうひとつは“人間”という意味の人形(ひとがた)として描くタイプの二つがあるように思う。前者のタイプに描写力に自信のある人が多く、後者にはロマンチックな心情表現を好む人が多いような気がする。描かれた人物がどれも同じ顔に見える絵は後者のタイプだと思っていい。

人物スケッチでは皆がモデルさんに集中して、シーンとする。それ自体貴重で嬉しい時間だが、疑問に思うのはそのあとのこと。モデルさん以外の人物をほとんど描く人がいないのをいつも不思議に感じる。モデルさんをスケッチすることで人物画のノウハウを得、それで本当に描きたい人を描きたいように描くのが目的のはずだが、どうもそうとは感じられないのである。あの集中力はいったいどこから湧いてくるのだろうか。

「人物(を描くの)は難しい」とよく言われる。確かにそうだけれど、では花や風景は簡単かといえばそんなこともないだろう。草花の世話をよくする人は説得力のある花が描けるし、よく知った土地は同じように良く描ける。とすれば、毎日嫌というほど人間を見ているわたしたちに人物画が描けないはずはない、はずである。なのに…。幼い子どもにとっては、お母さん、お父さんがダントツの題材である。花はともかく、風景や静物などに見向きもしない。それと同じような気持で子どもさん、お孫さんを描いてみたらどうだろうかと思うのだが。