「黒の背景・ポットの花」をアップ

黒の背景・ポットの花を描く (水彩)

今日(2022.8.1)も暑かった。気象庁発表の、17時20分現在での全国の最高気温(速報値)は、福井県小浜市の39.1℃。当地のこれまでの最高気温は2014/7/26の38.7℃だから、地元ではかつて誰も味わったことのない気温だということになる。2位の鳥取県米子市が当地観測史上タイの38.9℃。10位までにいくつも日本海側の市が並んでいるから、いわゆるフェーン現象だったのだろう。明日は埼玉県熊谷市で40℃になりそうだというから恐ろしい。

わたしは夏が苦手である(と思っている)。けれど、夏はぐったりして絵も描けないかというとそうでもなく、むしろ夏の方が制作量がこれまではずっと多かった。けれど、今年の夏は何だか例年より暑く感じられる。コロナもあるし、そのうえここ一週間大腿部から膝にかけて原因のよく分からない痛みもあり、外へでる機会も制作量も減っている。

理由はそれだけではない。お察しのとおり「ビデオ編集に時間がかかるから」。このビデオも先週金曜の夜にはアップする予定だったが、録音の際に(たぶん)クーラーの音か電源ケーブルから発生した低周波が耳障りになり、その対処法にたどり着くまでに時間がかかった。一生懸命作ってはいるが、なにせまだビデオ製作1年生だから、撮影からアップロードまでのすべてが、大小のトラブルでできているようなものなのだ。

作品の制作量が減っただけでなく、ビデオ製作のために水彩を描くという、逆立ち状態になっている。初めは制作風景や大作のプロセスを単純に撮影、そのまま動画にすればいいなどと軽く考えていたが、そちらの方がむしろ大変なことなのだった。なので今のところは撮影環境がコンパクトで、仕上がりに時間のかからない水彩画か、CGスケッチが精一杯。油彩画やテンペラ画などの時間の要るビデオ製作にはまだまだとても手が出ない。それでも少しずつ前進しているとは思うが、どんなものでしょうか。批判でもなんでもいい。見てもらえることが励みにも勉強にも、ボケ防止にもなっている、たぶん。

蟹のスケッチ

下北のヒラガニ(ヒラツメ蟹) (茹でた蟹を水彩でスケッチ)

暑い。今日(7/31)も熊谷で38℃の「危険な暑さ」になるという。こんなにも連日危険な暑さが関東各地で続くということは、すでに関東は(夏は)危険地帯だというに等しい。暑さを避けて人が外に出られなくなるほど、宅配サービスなど外で仕事をしている人の仕事量は増える。彼らの、汗を拭き拭き次の配達先をスマートフォンで見ながら小走りする姿を見ると、「文明(機器)は進歩するが文化(社会)はそう簡単に進歩しない」といった誰かの言葉にうなづかざるを得ない。

最近、教室では写真をもとに絵を描くことが多くなった。一つには、花などをモチーフとして買いに行っても、この暑さとコロナによる人手不足のせいか、花の状態があまりよくないせいもある。花を探すにも数時間はかかる。きれいな花もいいが、描くのに難しい花はやめておく。一人一人の顔を想い浮かべながら、この人はこういうのを描きたがる、この人にはちょっとハードルが高いかな、などと考えながら四捨五入して購入する。毎日買いに行く時間もないから、少なくとも数日は持たせたいが、この暑さでは管理の方が難しい。

それと、花などのモチーフ(花くらいしか人気がない)ではほぼスケッチで終わる。そのスケッチをもとに、自分のアイデアやセンスを加えて「作品」にする試みを、あれこれそそのかしてもなかなか乗ってこない。もともとスケッチが描ければいいと思って始めた人が大半だから、それはそれで確かに一貫しているのだが。

教室で実際に筆を動かしている時間はせいぜい2時間。たとえば、この蟹のスケッチにはその倍以上の時間がかかっているから、生徒さんが教室で3時間必死に描いても1回で描き上げるのは無理(描き方にもよるが)。教室以外のどこかで時間と体力とをくくりだし、「いつも(日常)」の壁を突破しなければ、スケッチさえ出来あがらない。写真を使うのはそのための意味もある。けれど、「いつも」を突破する力は、やっぱり描くことに対する「愛」なのかなと思う。

悪魔のささやき

黄色のワイン瓶のある静物 (水彩)

7月7日にブログにアップしたこの絵のプロセスの動画を、昨日(7/21)YouTube(青いカモメの絵画教室) にアップした。編集にあしかけ3週間(そのうちの1週間以上は何もできず)かかった。画像編集が終わってからのナレーションの方がむしろ時間がかかる。下手なナレーションなど無い方がいいのではないか、と毎回自問しつつ。

「動画は短ければ短いほどいい」のだそうだ。聞くと「40秒」以内が主流になりつつあるという。スポーツやダンスなどでは、40秒あれば確かにそこそこの勝負まで伝えられる。大相撲名古屋場所がコロナ蔓延の中で興行中だが、相撲の結果だけ見たい人にとっては勝敗一覧表の1秒でいいし、取り組みダイジェストを動画で見れば、ライブなら2時間かかる幕内全取り組みを数分で見終える。

けれど絵のようなもので何が伝えられるかというと考えてしまう。完成作を見るだけならそもそも動画にする必要などない。動画にする意味は、まずそのプロセスに興味がある人にたいしてだけ。そういう人がどれだけいるかと考えてみると、膨大な時間を使ってほとんど無意味なことを自分はしているのではないか、そんな暗澹たる思いにとらわれてしまう。

「40秒」という悪魔の囁き。聞かない方がよかったのか、それとも聞いてよかったのか。この暑さの中で、心がキューっと冷えていく気がする。