木も見て森も見る

3月7日22時30分アップロードしました

「木を見て森を見ず」という格言がある。瑣末なところにばかり注意を払わず、全体を見通す目を失わないようにしなさい、というほどの意味だが、意味は分かっても具体的にそれが木であるどころか、葉なのか枝なのか、はたまた一粒の花粉なのかさえ分からなくなるのが、たとえばパソコンで作業をしているとき。

パソコン上で一枚の写真を拡大、修整し、色を微妙に変える、その作業の中にもさらに細かな作業がある。文字を入れるにもどんなフォント(文字のデザイン)を使うか、文字と文字の間隔や行の空きをどうするか、文字に境界線を入れるか入れないか、文字の色をどうするかなど、ここにもさらに細かい作業がある。瑣末?な作業がどんどん増えていく。

 そのような枝から葉、葉から葉脈と分かれていく流れのなかで、翻って逆方向の木全体の方を向き、さらにその木の向こう、向こうへと続く森を見るというのは、かなり難しい。一方向でさえ自分の位置を見失いそうになるほど何層にも重なり、横にもいろんなアプリが並列する構造。しかもそれはまだ、解りやすい「作業」の例に限っての話。
「物事は上流から見よ」とも言われてきた。まさに樹形図のように森から木、木から枝葉へと見ていきなさい、ということだと解釈してきたが、学校教育はほぼ葉っぱから森を見る、それとは間逆の方向だろうと思う。

 いつ、どの時点で視点を逆転させる教育が行われるのだろうか。今の日本で言えば、大学の卒業研究または大学院レベルで、やっとそういう見方を訓練するのではないだろうか。それ以外はすべて「個人の勉強」に委ねられてきたような気がする。それも受験勉強ではなく、一つのものごとに対する深い興味と、時間に縛られない自由な勉強といい仲間のいる環境があれば。「木も見て森も見る」ために必要な環境は、ますます遠くに離れていくように感じる日々。

「焼き鮎を描いてみる」をアップしました

一昨日この欄に書いた「焼き鮎」のビデオをYouTubeにアップしました。最近、チャンネルの視聴回数が激減中。1月末から2月に入ってどんどん加速し、1ヶ月の間に10分の1になってしまった。理由はよくわからないが、投稿頻度が影響しているのかもしれない。

その直前まで、これもなぜかは分からないが視聴回数が毎日増えていたので、急上昇急降下という激変ぶり。その原因として候補に上がるのは「投稿頻度」。多くのYouTuber たちが口をそろえて言うのは「最低でも1週間に1本をアップ」。「そうしないと激減する」、を身をもって味わっているところなのかも知れない。

ビデオの内容を少しでも良くしようとすると、長くなり、かつ時間がかかる。一方、ビデオは長くすれば「楽になる」。1時間の録画を50分にまとめるなら、ほとんど編集しなくて済むが、それを5分にするとなると、切り捨てる部分の選択にとんでもない時間を遣うことになる。切り捨てた部分を何らかの形で補う必要も出てきて、新たな写真や構成が必要になったりする。そうやって短くしつつ、内容をさらに濃くしようとすると、(わたしの今の能力では)到底1週間では終われない。そんな風に、内容を整理、濃密にしようとしたせいで(そればかりでもないが)3週間以上アップできなかった。その前も2週間以上かかった。思いつく理由と言えばそんなところ。内容が視聴者のニーズに合ってないのかもしれないが、それは自分では分からない。

というわけで、今度はなんとか頑張って、1週間以内に作ってみた。録画時間は約1時間25分。それを10分46秒にまとめた。あと何本か、1週間に1本を目標に努力してみよう。頻度だけが激減の原因かどうかは分からないが、とりあえず一つのファクターの様子を見ることはできるかもしれない。

「焼き鮎」を描いてみる

「焼き鮎」歯がギザギザしている フェルトペン+鉛筆

誰でも簡単に手に入り、フェルトペンに適した画題はないかなと、スーパーなどを物色したがなかなか適当なものがない。仕方なく「干しウルメイワシ」を買ってきて、3匹ほど皿の上に置いてみた。「イワシかあ」さすがにしけたモチーフだなあと思いつつ、鉛筆を持った途端に思い出した―「冷凍庫に鮎があるはず!」。

暮れにHさんから頂いた大きな鮎が、まだ何匹か残っていたはず。ありました、ありました。ちょっと霜がついたまま、絵の具用の皿の上に置いてみた。―いいじゃん。誰でも“簡単に”というところからはちょっと外れるかもしれないが、クロマグロを捌いて見せるとかに比べれば、“誰でも”の部類には入るだろう。生の鮎でも良かったのだが、あえて「フェルトペン」で描くためには、つるり、ヌルヌルよりはゴリゴリ、カチカチのほうが鉛筆との対比が際立つと思ったからだった。

とりあえず、写真のごとく。確かに鉛筆とフェルトペンとの対比は鮮やか。鮎の存在感が力強い。だが、こういう対比に慣れていないせいか、一抹の違和感がないでもない。ビミョー。画としては、鉛筆が「描きすぎ」。もっとサラッと描くか、(これはBとHで描いているが)2Hくらいで薄く、ち密に描いた方がよかった。残念。でも描いちゃったものはしょうがない。次回頑張ろう。

晩ごはんのおかずはもちろんこれ。心なしか絵の失敗の味が加味されて、ビミョーな味になっていた。※「焼き鮎」の制作プロセスはのちほどYouTube で公開する予定で、現在編集中です。