ストレスのない絵

Cafe のスイートピー(水彩)

だいぶ前、教室の帰りに数人とコーヒーを飲みにデパートの近くのカフェに寄ったとき、テーブルの上にスイートピーがグラスに入っていた。正面のガラス窓に暖かみのある照明が映り、その情景がきれいだったので写真を撮っておいた。

そのうちの2枚を合成して描いてみた。YouTube用のビデオを作るために、やや無理やり写実傾向、技法解説の方向性を持った水彩画を描くことが多くなったが、直感的で、言葉で説明しにくいような、こんな絵を描くとなんとなくホッとする。というよりストレス解消になる。正直、YouTubeにアップすることそのものもまだまだ強いストレスではあるが、その方向の絵を描くのもそれに劣らないストレスになっている。

描きたいものを描けばいいはずだが、今のところそれでは視聴者がほぼいなくなってしまう。何度か小出しにテストしてみた結果がそう。いつまでも必ずしも受けないわけではないとも思うけれど。YouTubeを見る、物言わぬ人々の要求はなかなか厳しい。それでも、少なくともあと半年はもう少しそんなストレスに耐え、どんなものでもサラサラっと描けるようになろうと思っている。そのプレッシャーをテコに、私自身の技術力もちょっとはあがりそうな気もするから。

アナログ-デジタル

これは、わたしのいわば「パソコン単語帳」。その中でもビデオ編集ソフトの使い方に関わるところだけ。しかも、全部じゃない。「ほ~っ、勉強家ですね」なんて言ってもらいたくて出しているわけではない。このアナログぶりを、我ながら呆れているところを見せたいだけなんです。

たぶんYouTubeに動画などをアップしているせいで、わたしはパソコンが得意だと思われているケハイがある(“パソコンが得意”という意味がそもそも分からないんだけど)。パソコンを「使いこなしている人」は、こんなドジでアナログな手書きメモなど書くわけないんですよ、はじめから。そんな人にこのメモを見せたらたぶんゾッとするでしょうね、まるでゾンビか1000年ぐらい前のミイラがそこにいるような気がして。

「ヨースルニ、ワタシハパソコンガトクイデハナイ」ってだけのことなんだけど、さらに始末が悪いのはこのメモを読み返すヒマがないってことと、やたらにメモだけが増えてテーブル上にも溢れてくるってこと。はっきり言って、“無駄×無駄”。なのに捨てられない人を、現代の文化人類学では「アナログ人」と定義するらしい(ウソ)。

では、「デジタル人」は?―わたしのパソコンは(わたしを小ばかにしているのか)、わたしがナンニモシテナイノニ、勝手に数値を書き換えたりして意地悪をする。そのくせ、子どもが救援に来ると、何ごともなかったかのように、素直に『自ら』トラブルを修正する。その時、“パソコンから見た”彼のことを「デジタル人」と現代文化人類学では定義する(ウソ)。じゃあ、パソコンからではなく、わたしから彼を見たら?―ただの「若い人」なんだがなあ。

ランプに灯をともす人

英国ロンドンで、街灯をガス灯から電灯に替える案に対して、残すべきだというキャンペーンについての記事を、BBCワールドニュースで見た。ロンドンのウェストエンドと呼ばれる地区(ウエストミンスターシティ?)にある275個の古いガス灯を電気に、すでに電灯に置き換わった30個をLEDに替えるということにまつわるストーリー。

メリーポピンズ、マイフェアレディやシャーロックホームズの世界に我々を連れ戻してくれる、それがロンドンという「生地(fabric)」の一部だという、“いかにも”な意見も紹介されていて、当局もその雰囲気を壊さないよう、「ガス灯のような効果」をアピールしてしているようだ。すでにLEDに交換された“ガス灯”の写真も載っているが、もともとを知らないからわたしには判定の仕様がない。
 ロンドンには15000を越える街灯があるらしいが、そのガス灯に毎夕灯を点けていく仕事をしていた老人がいよいよリタイアする、という別の記事もだいぶ前に見たのを思い出した。それも、いかにも“英国らしさ”を感じさせる、いい記事だった。

BBCだから、なにより写真、映像がきれいだ(ちなみにナショジオも同じ理由で、もう数十年購読している)。そこに映る人々の表情も素晴らしい。英文記事が読めなくても、インタビューが全然聞き取れなくても、それを見ているだけで癒される。
 イギリスは古い国だが、世界の流行の発端を創りだす新しいアイデアの国でもある。たとえばポップアートやロックンロールなど、歴史の深さとそこに生きている生活と思想との重なり方が、同じように古い歴史を持つ日本とはどこか似て非なるものを感じる。外からうわべのきれいごとだけ見ている面もあるだろうが、同じように保存キャンペーンを取り上げるにしても、すぐに「反対運動」としてだけ報道したがる日本のマスコミに、一灯一灯ランプを灯してあるく老人の、なんとも言えない「人間の顔」は映せないだろうな、と思ってしまう(写真を載せたいが、権利の関係で無理)。