久しぶりに野外スケッチへ

秋の公園にて (水彩 F6)

実に久しぶりの野外スケッチ。腰痛が常に意識されるようになってからは本当に久しぶりで、一昨年の浅草でのスケッチ以来かもしれない。

2日ほど前から、ここでスケッチの動画を撮影(の練習)しようかなと思っていたが、妻がカメラの一台を手伝ってくれるというので腰を上げてみた。ところが、出かけて早々、あっちの野菜売り場へ行ってくれ、こっちの店へ寄ってくれというので、これじゃ撮影時間は無いなと急激にやる気を失っていく。

現場で小一時間場所探し。撮影開始は午後1時ちょっと前。夕方は別の用事があり、午後3時頃からは雨の可能性もあるので、制作は1時間程度と想定。手前駐車場の地面にはイチョウの枯葉がたくさん散っていたが、それは後で描き加えることにした。鳥のさえずりがすごい。イチョウもまだそれほど黄葉が進んでいなかったが、銀杏の実はそこら中に落ちている。人や車の出入りもわりと頻繁で、子どもの声もあちこちから聞こえるなど現場写生の面白さがある。筆先が擦り減って丸まった筆を使ったので、そのコロコロ感も出ていますね。

一眼レフカメラを三脚で斜め後ろに固定し、スマートフォンを妻に渡して適当にいろんな角度から撮ってもらった。スケッチの撮影は今回が2回目。一回目はまるまる2年以上前で自分は描くだけだったので、すべて自分でやるのは実質的に今回が最初。とりあえず撮影全体を経験するのが主目的で、良し悪しは二の次。でも、近いうちにこの動画もアップしてみようと考えています。

フェルトペンとSMが最強コンビ

鳥の置物とキャンディボックス1
鳥の置物とキャンディボックス2

フェルトペンで何でも描く。フェルトペンがこの頃ではわたしの最も身近な画材になっている。もちろんどんなサイズでもペンが有効なわけではなく、小さいスケッチブックに限られる。一番ぴったりなのはSMサイズとのコンビネーションだと思う。この組合せでいつも持ち歩いている。

「キャンディボックス」は折り紙。ある人がこれにキャンディを入れてくれたから、そう呼んでいるだけ。特に専用というのではない。折り紙は尾形光琳の「カキツバタ図屛風」のプリントされた、ちょっと厚手の紙。「杜若(かきつばた)」に見えるかな?

「SMのスケッチブック+フェルトペン」で描いたスケッチ(スケッチにしては描き込み過ぎなのだが)をYouTubeに続けてアップしている。いくつかのスケッチの中で、ペンだけの(モノクロ)の地味なのが、なぜかわたしのチャンネル「青いカモメの絵画教室」の中では大ヒット中らしい。1割ほどは海外の人も視聴しているらしいのは、さすがにネット社会だと実感する。

ところが今日、突然ビデオ編集が出来なくなった。少なくとも一昨日までは何ともなかったが、昨夜のうちにWindowsのアップデートがあり、どうもそれが原因で編集ソフトとの連携がおかしくなってしまったらしい。今のところ対処の仕方が分からず、お手上げ状態。解決法を見つけ出すまでのあいだ、このコンビでのスケッチの腕を磨いておけ、というご託宣のようでもある。

秋になりました

秋の静物 (制作中)

少し風邪気味。先日病院へ心臓ペースメーカーのチェックに行ってきた際、後ろの方で凄いくしゃみを連発している高齢の女性がいたが、そこから広まった可能性は無きにしも非ず、かな。わざわざ振り向きはしなかったけれど、たぶんマスクはしていたに違いない(院内ではマスクをしていない人は見かけなかったから)。17日にスケッチ会を予定しているから用心、用心。

ごく最近はスケッチ動画を中心に動画作りを優先させている。動画作りを始めると、勉強のためもあって他の人の動画を見る機会も多くなる。個人的な動画を見ていて感じるのは、一人一人がほんとにタレント(才能)がある人たちなんだなあ、ということ。

釣りは得意ではないが、釣り(狩り)のビデオはつい見てしまう。そこでは釣りのテクニックも紹介しながら、そのあと自分で捌くだけでなく、釣果を材料に板前さん顔負けの美味しそうな料理までつくってしまう。盛り付けも、そして食レポまでと至れり尽くせり。その間の、人柄を感じさせるトークも見事。ついつい勉強を忘れて、続けて何本も見てしまうほど魅力的。彼(女)らの、それぞれの勉強や経済的、時間的、体力的投資、そしてリスクの大きさを考えると全員尊敬してしまう。

動画を個人的に発信できる時代になったことは文明的にも文化的にも凄いことだなと今さらに思う。それはある意味で視聴者であるわたしたちを平均化する一方で、発信者の一人一人を等身大に個別化する文化でもある。一人一人を個別化するということは、言葉を換えれば「人間」から生身の「動物」へと戻す方向性でもある。わたしたちは1万年前の人類と生理的にはほとんど変わらないということを、彼らはわたしたちの眼を楽しませながら間接的に示してくれてもいる。進化と進歩のズレの大きさこそ、ある意味で80億の人間を支えていることも、そのズレが様々な問題を引き起こしているのもご承知のとおりだけれど。