秋の夜は

秋の静物を描く

今日(11/20)は曇りの予報に反し、一日前の予報のような雨になった。11月は関東の平野部では穏やかな日が多いが、雨が降るとやはり冬の近さを感じる。

夏の暑さの中では赤い色など見たくもないが、秋も晩秋に近くなると(そういえば立冬をすぎているのだから、もう冬なのだった!)暖かい日の光を感じさせる柿の赤やオレンジ色が恋しくなる。朝はともかく、夕食には食事も鍋や暖かいものが食べたくなる。

そんなわけで、画面の真ん中に赤がどーんと坐るような配置で描いてみた。コリンキーという名の “生で食べられる” というカボチャの仲間で、名前から想像してイタリア野菜だと思っていたが(事実、イタリアやフランス料理の食材としてよく使われるという)、原産地はどうやら南米らしい。南米といってもアンデスとか、高地は寒いらしいからそれはそれで似合うと言えば似合うかもしれない。

一日の長さは24時間で、夏も冬も変わらないのは解っているはずなのに、秋冬は一日がどんどん短くなっていくように感じる。俳句でも「短日」「つるべ落とし」と、日中の時間の短縮を嘆くような気分の季語がある。ちゃんと24時間あることを感じさせるのは「夜長」。これから数か月、長い夜の中で、わたしたちは何を考えるのだろうか。

西洋梨と杜若(かきつばた)

西洋梨と「かきつばた図」のキャンディボックス

教室でのデモ制作。今年もぼちぼち西洋梨のシーズンになってきた。何度も何度も描いているモチーフだが、飽きるということは(少なくともわたしには)ない。毎回それなりの課題が現れ、いつも自分なりの新しい答えを求めていくからだろうか。

それでも、毎回ちょっとずつモチーフのバリエーションなり、表現法のチャレンジなりの変化が欲しいのは、自分もまた見る側でもあるから。今回は普段はパソコンの前にある、折り紙のキャンディボックスをアクセントに置いてみた。色合いも良く、適当な技術的課題もあり、楽しいモチーフになった。ただ、少し細かいことをいうと、これが何であるか絵からは分からない。「キャンディボックス」という名前も、特にそういう用途があるわけでもなく、ようするにただの紙の箱をわたしがそう呼んだだけ。紙製かどうかも絵を眺めただけでは判別できない。技術的課題というのはそのことを指しているのだが、どうやらそれはクリアできていないようだ。

この六角形の箱は、俳句の仲間のAさんに句会の時に頂いたもの。Aさんは折り紙をよくされ、施設などで指導することもあると聞いたような気がする。折り方を見た時、これはオランダ・ダールマンズのワッフルボックスと同じだと思い出した。中身よりこの箱(の折り方)に惹かれて田舎へのお土産に買ったことが何度かある(ただし、日本で)。紙には尾形光琳の「国宝・杜若(かきつばた)図屛風」のプリント。蓋つきになっていて手が込んでいる。

水彩画(特に小品は)紙の白を残すのが大事だとわたしは感じている。白は(黒も)すべての色を引き立たせる、極上のスパイスだと思う(油絵ではキャンバスの白を残しても全くその効果がないのは不思議なこと)。ただ、時間が経って紙が黄ばんでくるとその魔法が解けてしまう。この絵のように白の部分が広い絵では、額に入れるガラス、アクリル板には紫外線カットのものがおすすめです。

青いカモメのスケッチ会

駅前:午前10時スケッチ会スタート
野田市内:終了直前14時頃

青いカモメの絵画教室では、自由参加で千葉県野田市でスケッチ会をしました。参加者は20名。風もなく、晴れて気持の良い日和(午前中はひなたでは少し暑いほど)。

野田市といえば醤油の町、キッコーマンの企業城下町です。これを描かないと野田市を描いた気持になりません。でも、前半は市の観光名所的なところに目を奪われて、つい歴史的な建物の方に行ってしまいました。お昼は現在は市民会館になっている、キッコーマンの創業一家の旧宅で各自の弁当を食べた。個人の居宅としてはとんでもない広さと造りで、往時の豪勢を感じられたのは良かった。

自分としては、今回はカモメマンになってスケッチ会のビデオを作ろうと思っていたが、スケッチ開始と同時に全員がパアッと散ってしまったので、いきなり目標達成絶望的という状況になってしまった。誰がどこにいるか全然分からない。三脚を持っていったのでそれをセットすれば自分のスケッチビデオを撮影することは可能だったが、そこまで腰を据えて描きたい場所を見つけることが出来なかった。

午後になって、何の成果もないとちょっと寂しいかなと、めぼしいところを漁り始めた。それが下のスケッチ。この1枚はとりあえず今日のベスト。まあ、どこでもそうだが、初めて行って、いきなり良いスケッチを望む方が虫が良すぎるというもの。失敗と反省を繰り返ししつつ、2度3度とでかけてやっと描くべきモノが向こうから見えるようになってくるものだ 。今回も事前の下調べがあったから、たとえ満足な成果に結びつかなくてもスケッチを通して一つのイメージを掴むことができた。今回はこれで十分。これを繰り返すことが大事なんです。