制作中

Apple-海を渡る(部分・制作中)

数日ぶりに夕方まで制作できた。だいぶ派手派手になってきたが、まあ、こんなもの。ふざけていると思われるような絵だが、一応まじめに考え、適度な荒さを失わないように気をつけながら、の制作です。

ここでは見えない(見せない)画面下部は遅れている。なぜかというと、画面の下の方は姿勢的に描きにくいからだ。アトリエは天井が低く、画面を上にあげるとすぐ天井にあたってしまう。かといって寝そべって描くのも大変。だから下の方を描くとき、最近は水平にして描くことが多い。

以前は直接床に置いて制作もしたが、今は机の上に置く感じで、できるだけ中腰にならないようにする。が、やはり中央に近いところを描くときは手を伸ばして、中腰にならざるを得ない。なので、ついつい上の方ばかり進み、バランスの悪い絵になりがちだ(と思う)。

ポスターのような絵だが、確かにイメージもそれに近いかも知れない。あと数日で図録用の写真を撮らなくてはならない。未完成でも、なんとか見られるところまで漕ぎつけないといけない。浪費が多すぎるのか、いつも時間が足りない。

青いカモメ展−無事終了しました

会場:桜満開の中で開催されました
会場入口のスケッチ展示は意外(いや当然!)に好評でしたよ。皆さん、もっと自信を持って!

3月26日16時、無事青いカモメ展を終了しました。実行委員のみなさん、お疲れ様でした。出品者のみなさんも長い道のり、そして当番もありがとうございました。ご来場のみなさん、関心を持って下さったみなさん、ありがとうございました。

手前味噌ですが、前回の展覧会より多少はレベルアップしていると思います。筆遣いなどの技術的な面はほとんど変わりませんが、主に「構成」に対する考えかたなど、作品化へのソフト面が深化してきたと思います。メンバーの皆さん、もうひと伸び、その方向でアップするよう頑張りましょう。

前回展覧会から一年半、健康面や環境面でも幾多の変化があったと思います。どちらかといえばマイナス面の方が多くなってきているのではないでしょうか。その中で絵を描き続けてきたのは立派ですし、情熱の燃え続けている証拠です。苦しいこともあったに違いありませんが、懸けた情熱と同じくらい、絵から受け取った安らぎや活力もあったのではないでしょうか。絵の世界の深さは、自分が掘り下げれば欲しさげるほど深さと豊かさを増してくるものです。

「他人と比べるのは不幸の始まり」と十数年前にもこのブログに書きましたが、その思いは今もまったく変わりません。大事なことは他人より上手になることではなく、自分の可能性を深く深く掘り下げることなのです。他人と比べるときは、上手さや周囲の評判などではなく、その深さを覗き込んで見てください。WBC決勝戦の直前の掛け声で、大谷選手がいみじくも言いました。「(他人を)リスペクトするのはいいが、それだけでは(自分を)超えられない。わたしたちは今、自分を越えるためにここにいる。(今だけは)リスペクトをやめて、掘り下げることに専念しよう。さあ行こう」。ちょっと、違いましたか?わたしにはそう聞こえましたが。

チャットGPT やってみた

編集中のビデオから

チャットGPTやってみた。無料の体験版で、ちょっと古いバージョンらしいが、とりあえず“触り”を体験してみた。今回は話題の音声入力ではなく、キーボードでの入力。

実際にどんな風に試したらいいか、初対面の人に何から話し始めたらいいか戸惑うのと、そっくり同じ気持ちになった。まずは、小学生が調べる宿題を出されたと仮定して「りんごの栄養素について、200字以内で書いてみて」とリクエストしたところ、数秒!で100点満点以上の模範解答。字句や文章にも不自然さはまったくない。なるほど小論文程度の課題なら一発で満点ゲットだ。

俳句などは得意だと聞いていたので、春の季語で10句作ってもらった。これも数秒!だったが、結果は散々。俳句になっていない。で、五七五の音節に合わせるよう指示して、再挑戦させた。リズムは良くなったが、俳句の概念がまだよく学習されていないことは判った(最近のバージョンで試しても似たり寄ったりの結果)。
 「I can’t watch TV in my bathroom. この英語は変ですか?」と聞いてみたら、『文法的には間違いではないが、文脈としては不自然だ』という回答。その理由として、『普通はバスルームでテレビを見ることはほぼないから、見ることができない、という言い方の方がむしろ不自然。ただし、特別にそれが許されるような状況があり、そのことが理解される文脈の中でなら、このような言い方も受け入れられることはあり得る』となぜか英語で回答してきた。内容は納得できる。
 ついでに、別の「言語→画像4枚」ソフトで、言語を画像化するソフトも試してみた(これも無料の視聴版)。「赤毛の少女が、ニューヨークの混み合った道の真ん中に立っている」と入力したら、これも数秒で4枚のそれぞれ異なる絵を表示してきた。チャットだから、「ここをもっと○○に」などとやり取りを繰り返せば、どんどん自分の望む画像に近づけるだろう。ちなみに、わたしがこれから描こうとしている、あまり具象的でない絵を言葉で入力してみたら、どうしようもない絵ばかり提示してきた。

以上が初体験の記。特に画像ソフトに関しては、画家としていい印象を持っていなかったが、試してみるとこれは画家(特に具象画の)も利用するだろうと感じた。絵の好きな人がAIに“オリジナル”を描いてもらえるだけでなく、筆を持つ経験などなくても「画家になれる可能性がある」ことも分かった。あらゆる意味で、(人間には)もはや特殊な能力や才能は必要なくなる。そういう世界が目前に現れてきた、ということだ。いいのか悪いのかはわからない。ただ、いいことだらけではなさそうだ、という不気味さを直感したのも確かだ。