お金が貯まってしょうがない

毎日使っている自動車だって、描けと言われると案外難しいよ

今日のタイトル凄いでしょう。大金持ち以外の誰もが一度は言ってみたいセリフではなかろうか。

実際、溜まってしょうがないのである、1円玉が(1円玉だって「お金」だぜい)―何度か買い物をすると、財布がお餅か不満顔のお嬢様の頬っぺたのようにプーンと膨らんでしまう。これは時代に乗り遅れていることの、DNA鑑定より確かな証拠なんですよ、キミ。「今は電子マネーという(不都合な)のがあってネ、お釣りで云々(うんぬん。誰か偉い人がこれをデンデンと言って世間の度肝を抜いたことがありましたなあ)と口にするだけで「旧人類」と言われる」なんて、○○デジタル大臣も言っておりました(オイオイ!そんなこと言ってる場合じゃないでしょうに)。

実は、わたしだって○○pay を2つスマホに入れているんですよ。もちろんそれで買い物もしています。乗り遅れてなんかいないですもの。でも、すでに溜まった1円玉を消費するには現金払いで小銭を消費するしかないじゃあーりませんか!って、そこでオクターブあげなくてもいいんですが。ところが、「1円玉をチャリチャリ「小銭投入口」なんかに入れてると、並んでいるお客の冷たい視線を背中にびっしり感じちゃうんですよねえ。ええ、ええホントよ。

ンで、6円を1円玉で6個出すつもりだったのに、視線のストレスで仕方なく10円玉1個を入れてしまうとか。すると(あったり前田が)1円玉が4個増えてくるじゃない!?これってもしかしてBa-baba—–kaじゃない? フン、1円を粗末にする人はいつか(別の宇宙で)1円に泣くわ。フフッフ。

午前0時、ビデオ編集中

ビデオ撮影中

11月29日中にこのブログをアップロードしたかったが、疲れて沈没してしまった。ポインセチアの制作ビデオを編集している途中だった。わたしは(撮影にももたもたするが)ビデオ編集にすごい時間がかかる。凝っているのでも、慎重なのでもなく、単純に「知識不足」のせいで。

「青いカモメの絵画教室」チャンネルには38本もの動画がアップされているが、いわゆる「動画」らしい動画はまだ10本程度。それも古いのが6月頃からで、大半が今年の8月以降。ようするに最近になってやっとそれが作れるようになった。しかも、曲がりなりにも作れるようになっただけで、ちゃんと理解できているわけでは全然ない。

動画を作るには①撮影→カメラの知識・操作能力、②編集→編集ソフトの知識・操作、ナレーション等の言語能力、BGMなどの音楽的素養、③アップ→メディア関連の基本知識 等々が不可欠だが、どれをとっても「不足」だらけ。ここにはないが、これらの能力以前に、何をやるべきかを考える企画能力が要る。これも??が点く。一人での動画では、作者=俳優(声優)でもあることが必要だが、これも???だ。そして計画性も✕。

はっきり言って、失格というより「不合格」。じぶんでもかなりめげるが、それでも応援してくれるのが視聴者。誰が見てくれているのか顔も分からないが、最近はチャンネル全体で毎日150回(人?)以上の視聴がある。そしてビデオのためのデモ制作を支えてくれる、教室のメンバーたち。これらの人たちの期待?に応えたい、気づけばそれがモチベーションになっているのである。

反省を吹く

Autumn trumpet 水彩

「反省」をする時期になってきた。嫌だなあ。12月が近くなってくると、一年の反省を強いられる気分になって、帳尻合わせのためについ頑張ろうとしてしまう。そして当然のように、その結果はたいていろくなことにならない。

そもそも1ヶ月でつじつまがあうくらいなら、他の11カ月は何をやっているんだということになる。悪い商習慣が巷を混乱させているともいえるのだが、すでにそれが身体に染みこんでいて、じっとしていると尻がこそばゆくなってしまう。嫌だなあ。

13月というのがあれば、12月はずっと気楽になる。そういう意味なのか、ひところ「13月」という語が詩や詞のなかで使われた時代がある。あるいは12月と1月のあいだの空白感を詩的に謳ったものだったのか。いずれにせよ、当時はなんとなく別空間、ロマンチック感が漂ったものだったが、今はほぼ見当たらないのが時代の変化ということなのだろう。

1月はどうだろう。逆にポカーンと、冬空に一辺の白い雲、みたいな気分や、新しさでキラキラした気分を醸し出そうとマスコミも躍起になる。そしてこれまたそれに釣られてわたしたちも浮足立ってしまう。これじゃまるで自分というものが無いではないか。―よしっ。今年の年末年始は世間に惑わされず、しっかりやるべきことをやるぞ―と、とっくに世間から見放された老人が一人無人島でほざいているようです。中継終わります。次どうぞ。