よくあるミス

anemone 水彩 F8

12:40、あっ、いけねぇ、と思ったが、もう日をまたいでしまった。奇数日にブログを書くことを今年の目標にしていたが、すでに2回目のポカ。記事はすでに書いてあり載せるだけにしていたが、公開予約の方法が分からず、「まあ、時間に余裕があるから」と安心していたのが良くなかった。

おかげで記事も新規に書き直すことに。写真の水彩は、背景をどうしようかとひと月ほど放ったらかしているうちに最初のアイデアを忘れてしまったので、適当にまとめてしまった。人形の髪の毛の表現をどう“手抜き”しようか、そのテストのためだけに描いたものではあったけど。

眺めていると、色のバルール(ボリューム感。膨張感)の問題がよく解る。解説すると、アネモネが人形より手前にあるのは「論理的に」理解できる。一方、「視覚」の問題としてだけ見ると、花が奥にある白い鉢?と繋がって、人形をぐるっと取り囲むかたちになっている。そして白っぽい=「彩度が低い」。そのため、奥の鉢は自然な距離感に見えるのに対して、アネモネの方は人形より引っ込んで見える。これが“バルールの問題”である。※バルール(valurue)はフランス語で「価値、容積(量)」などのことで、英語のヴァリュー、ボリュームに近い語。

“明るい-暗い”の単純対比なら明るい色が手前に見えるが、“明るい-高彩度”ではそう単純ではない。“明るい・低彩度-暗い・高彩度”や“明るい・高彩度-暗い・高彩度”などなど、何通りかの組み合わせができるからだ。この場合は、“明るい・低彩度-暗い・高彩度”の例で、「明るさ」に「高彩度」が勝っているから、この現象が起きる。
 正しいバルールにするには、①花を白ではなく、鮮やかな色にする、②人形を暗く、または低彩度にする、のどちらかまたはどちらも、を実行することになる。一個のアネモネが実際に髪の毛の奥にあることも、その錯誤を強める結果になっているが、その意味が解りますか?
 こういう「造形の基礎」的なことも、言い方は「基礎」だけれど、実際はかなり奥の深いものです。そうした知識・理解を活かせるようになると、絵がとても豊かに見えてきます。可能な限りそういう時間を作って、知識をインプットするようにしたいものですね。

制作中

Apple-海を渡る(部分・制作中)

数日ぶりに夕方まで制作できた。だいぶ派手派手になってきたが、まあ、こんなもの。ふざけていると思われるような絵だが、一応まじめに考え、適度な荒さを失わないように気をつけながら、の制作です。

ここでは見えない(見せない)画面下部は遅れている。なぜかというと、画面の下の方は姿勢的に描きにくいからだ。アトリエは天井が低く、画面を上にあげるとすぐ天井にあたってしまう。かといって寝そべって描くのも大変。だから下の方を描くとき、最近は水平にして描くことが多い。

以前は直接床に置いて制作もしたが、今は机の上に置く感じで、できるだけ中腰にならないようにする。が、やはり中央に近いところを描くときは手を伸ばして、中腰にならざるを得ない。なので、ついつい上の方ばかり進み、バランスの悪い絵になりがちだ(と思う)。

ポスターのような絵だが、確かにイメージもそれに近いかも知れない。あと数日で図録用の写真を撮らなくてはならない。未完成でも、なんとか見られるところまで漕ぎつけないといけない。浪費が多すぎるのか、いつも時間が足りない。

青いカモメ展−無事終了しました

会場:桜満開の中で開催されました
会場入口のスケッチ展示は意外(いや当然!)に好評でしたよ。皆さん、もっと自信を持って!

3月26日16時、無事青いカモメ展を終了しました。実行委員のみなさん、お疲れ様でした。出品者のみなさんも長い道のり、そして当番もありがとうございました。ご来場のみなさん、関心を持って下さったみなさん、ありがとうございました。

手前味噌ですが、前回の展覧会より多少はレベルアップしていると思います。筆遣いなどの技術的な面はほとんど変わりませんが、主に「構成」に対する考えかたなど、作品化へのソフト面が深化してきたと思います。メンバーの皆さん、もうひと伸び、その方向でアップするよう頑張りましょう。

前回展覧会から一年半、健康面や環境面でも幾多の変化があったと思います。どちらかといえばマイナス面の方が多くなってきているのではないでしょうか。その中で絵を描き続けてきたのは立派ですし、情熱の燃え続けている証拠です。苦しいこともあったに違いありませんが、懸けた情熱と同じくらい、絵から受け取った安らぎや活力もあったのではないでしょうか。絵の世界の深さは、自分が掘り下げれば欲しさげるほど深さと豊かさを増してくるものです。

「他人と比べるのは不幸の始まり」と十数年前にもこのブログに書きましたが、その思いは今もまったく変わりません。大事なことは他人より上手になることではなく、自分の可能性を深く深く掘り下げることなのです。他人と比べるときは、上手さや周囲の評判などではなく、その深さを覗き込んで見てください。WBC決勝戦の直前の掛け声で、大谷選手がいみじくも言いました。「(他人を)リスペクトするのはいいが、それだけでは(自分を)超えられない。わたしたちは今、自分を越えるためにここにいる。(今だけは)リスペクトをやめて、掘り下げることに専念しよう。さあ行こう」。ちょっと、違いましたか?わたしにはそう聞こえましたが。