水温(ぬる)む

「ゼラニウムの構図」編集中の画面から

食器洗いの水が本当に温く感じるようになった。先日は気温27度、地域によっては真夏ごろの気温。30度の真夏日を迎えた地域もすでにある。ガス料金、電気料金の値上げが話題になる昨今、暖かくなって暖房費が減るのは歓迎だが、その先の、夏の冷房費がはや気になってくる。

“コロナ”が収束したわけでは全然ないのに、世間ではもう終わったかのようなムード。政府の意向を受けてか、マスコミもゴールデンウイーク(最近はそう呼ばなくなったような気もするが)の行楽をそそのかす報道に明け暮れている。たしかにこれまでまる2年間ほどの自粛、自粛の生活を通り抜けただけに、政府、経済界が消費行動を煽りたい要請と、解放感を味わいたい庶民の気分が一致、気温上昇とともに舞い上がるのも解らないではない。

ここ十年以上、大型連休だからと出かけたことはない。どうせどこも混雑。ならばと、自宅で休養しながら、溜まっている用事を片づけることにしてきた。でも、実際に用事が片付いたことはほとんどなかった。いま思うのは、やっぱり出かけるときは出かけるのがいいのかもしれないということ。混雑をものともしないエネルギーも、混雑自体を楽しめるアクティブな精神も鍛えられるんだなと思う。すっかり出不精になってしまったことをちょっと反省した。とはいえ、混雑の中にだけそんな機会があるというわけでもないけれど。

要するに、行動力がなくなってきたという実感。何に関しても傍観者的な気分でいることが多くなってきたと実感する。「超」遅ればせながら、一つ一つ、頭も身体も再稼働していきたいもの。暖かくなってきたことだし。さあ、まずは早いところ、やりかけの編集を終わらせようっと。

長い息をしよう

ブログでは絵に関わる楽しい話題を書きたいと、いつも思っています。本当よ。けれど、なんだかいつも真逆の結果になっていることが多いような気がする。なんでだろう。現実に楽しいことより、気が重いことのほうが多いのかもしれないが、それでも何とか楽しい話題を見つけて共有したい、本当にそう思ってふだんから探しているんですが。

この動画のサムネイル(動画の看板。クリックする前に見る画像のこと)を見てください。なんてダサいんでしょう!自分でも嫌になるけれど、正直どうしたらいいのか、まだわからないんです。こういう感じで、つい気が滅入ってしまうんですよね。

いかん、イカン。そこから離れてもっと先を見なくっちゃ。
 土曜日は撮影日。日曜は朝から寝るまで編集、と目標は掲げているけど、ナカナカ。例えば今日(2023.04.15)、新規の動画の全体、部分ごとのテーマやモチーフを決め、撮影するはずだったのに、ついYouTubeで「撮影の基本」とか「トランジション(場面移行)のやり方」など見てしまう。これはこれでわたしには絶対必要な勉強だけれど、それで午前中の時間を遣い果たしてしまった。日曜には庭木の枝切とかの家事が舞い込んできたりとか、全然編集できない日もあって、目標の「毎週1本のアップロード」が出来たのはたった1回だけ。それが今回初めて、なんだ。

そこを「やったー!イェーイ」と書けば“楽しい話題”になるのかもしれないけれど、撮影は4月4日だったから、10日もかかっていることになる。ちょっと「イェーイ!」までは気分が追いつかない。
 ああ、いかん、イカン。また沈み始めてきた。長距離を泳ぐ鯨のように、水面に顔を出して、たっぷり長い息をしなくっちゃ。下を向いていると肺がしぼみ、脳への酸素供給量が落ちる感じがする。今日は雨だから、家事は少なくて済みそうだ。さあ、頑張って撮影しよう。

リテラシー

写真(YouTubeサムネイル)を見て。この、ブルーっぷり。ブルル、こんな陽気だっていいうのに寒気がするようなサムネイル。なんで、こんな陰気な動画なっちゃうのかと、自分でも悩むんですね。

誰も見てくれなくてもいいから、「自分は自分の仕事を全うしたい」と思うとこうなっちゃうのかな。「けじめをつけなくちゃ」と思ってるんだね、それが「昭和世代」の特徴だと言われるけれど。で、(肝心の)ケジメがきちっとつけられたか、って訊かれると「よくわかりません」っていうんだからどうにもならないサ。

それぞれの分野への適応能力を「リテラシー」というらしい。たとえば「情報」分野なら、情報への興味、関与の程度、適応能力など。だから、同じ「リテラシー」でも、「世界のセレブとの交際リテラシー」なんかの“能力ゼロ”でも、わたし的には全然困らないが、ワクチン接種だの、国や自治体への申請だのがインターネット経由だと、一定の「リテラシー」がないと、市役所へ行ってイライラと職員を怒鳴ったりする羽目になる。

そういうわけで「スケッチのリテラシー」らしきものを身につけさせたい(上から目線か)という(わたしの)願いは、現代の情報リテラシーという見地からは、“著しく”逸脱・時代遅れになってしまっている。現代ではデッサンの修練などより、カメラの勉強、をし、プロジェクターでも何でも使えば、いかに写実的なデッサンでも、誰にでもできる道が開かれている。それを文明の発達というんじゃないの?そ、その通りだね、うん。
 「シルエットから描く」なんて、タイトルがすでに、自ら時代遅れだって宣伝して回っているようなものだった。もっと情報リテラシーを身につけなくちゃだめですね。あ~あ。時間がないと言いながら、こうして意味ないことに時間も体力も浪費してしまっているんでしょうか・・。