大雪警報

全国的な雪の予報の中、珍しく関東地方全体に大雪注意報なり、警報が出た。埼玉県東部にも大雪警報が発令された(22:20 現在も発令中)。同時に雷注意報、着雪注意報、風雪注意報も出ている。外に出てみると5センチくらいの積雪か。止んだと思ったが、まだ少しは降っているようだ。

雪自体、雪景色は好きだが、仕事や用事には差し支える。何より、こちらの雪はほとんど雨のように、びしょびしょに濡れる。しかも凍って、カパカパになり、家が立て込んでいるのでなかなか溶けない。北国の雪はその量が膨大で、やはり生活の負担ではあるが、パサパサとはたき落とすだけで濡れない雪は、風物詩でもある。濡れる雪には、残念ながらそんな風情は感じない。

春は廻る

「桜とメリーゴーランド」 水彩

YouTubeに、意識的に時間と体力を注ぐようになって、まる1年半が過ぎました。その前の約一年間は YouTube 自体にほとんど興味もなく、あとできっと必要になるからと言われたことと、急いで iPadに慣れる必要があったので、iPad で絵を描き、そのプロセスを簡単な動画にしてアップロードするという、練習だけで過ぎていきました。

「普通の動画」を作れるようになろうと、「意識的になった」この1年半の間に、視聴回数は3000回から60000回へ、チャンネル登録者数は30人くらいから600人以上まで、約20倍になりました。始めた頃のわたしなら「凄い」と喜べた数字です。でも 現実的には、これは「あなたはYouTubeに向いていません」という、宣告にも等しい数字なんだそうです。確かに18ヶ月かけて20倍じゃ、単純にやった分しか増えてないってことですもんね。人が人を呼ぶ、いわゆる加速度的なカーブじゃないとダメってことです。

YouTubeで「成功」というためには、わたしの場合、現在のさらに100~200倍の視聴回数・登録者数が必要なんだそうです!それがどれだけ距離感のある数字か、わたしにも今はだんだん分かってきました。
 趣味だと割り切れれば、別に構わないことですが、教室的に何か役に立たないかなあ、とおぼろげに考えていたわたしは、考え方を変えなければならないことになりました。時間と体力の消費が、大き過ぎるのです。絵を描く楽しさを伝えたい、なんて思っていたのに、そのためにわたし自身が絵を描く時間を失ない、眼を悪くし(これは加齢のせいか)、時どき鬱に陥ったりしているのですから、文字通りの本末転倒です。

せっかく始めたYouTubeをやめたらいいんでしょうか。まだちょっと、勿体ない気もします。「成功」なんて、もともとできるとは思っていなかったけれど、ちょっと「役に立つ」くらいはまだ、生かせる余地があるんじゃないか、なんて未練がましく、さらに深みにはまりそうな気もしますし。
 しばらく気分転換が必要かもしれません。暦の上ではまだ冬ですが、もう数日で「立春」です。先ずは桜の花でも描いて、自分を楽しませてやろうと思っているところです。

ちゃんねるが合わない

12日ぶりにビデオをアップしました。お時間あれば、ご覧いただきたいと思います。ブログも8日ぶりです。記事を書くこともあったし、体調が悪かったわけでもなかったのですが、アップして、読んでもらいたいという気持がまったく起きなかったんです。

たぶん多くの日本人(90%位?)が持っているような、ごく軽い鬱をわたしも持っていると思うんです。それが時々顔を出すんでしょう。すると、なにをやっても無駄だ、という気持になって、やりかけのことも投げ出したくなってしまう。その一方で、「軽い」というのは、いい音楽を聴いたり、いい絵を見たりすると、すぐに元気が出てきて「もう少しだけ先へ進めよう。それから止めよう」とも思えるからです。

昨年いっぱいで、作品発表のほとんどの場から身を引きました。大きく見ると、わたしはどんどん「社会」から後じさりしているようです。社会の中へ出ていくこと、社会と関わっていなくては、生きていくことが難しいように世の中は作られているのですが、なるべくなら一人で居たい、という性格は子どもの頃から、あまり変わらないようです。かといって、一人で畑を作り、魚でも釣って自給自足するほどの知識も能力もなく、単なる願望にすぎないので、本当に一人で生きていくこともできません。

現在は絵画教室があり、それがなんとか社会とつながる接点です。絵を描かない、興味のない人たちと接点を持つことがほとんどありません。社会との、絵以外での接点を広げるような努力はまったくしてこなかった(絵でさえも積極的ではなかった)。そういう意味で、わたしは社会的「不適合」者だと、自分を位置づけています。たぶん「不適格」ではないと思うけれど、繋ぐことが上手にできないタイプなんでしょうね(「絆」なんて言葉も嫌いだし)。
 決して人間嫌いではないけれど、社交好きではない。ファーブルやシートンが好きなのは、そういうところがああるからかもしれません。でも、日本ではそういう人が増えているんじゃないでしょうか。つまり、一方でSNSなどで人とのつながりを求めつつ、一方でそれぞれが一人になりたがっている。そのジレンマの中で、誰もが「軽い鬱」を持っている。つまり、わたしのような人はごく普通だと言っているわけですけど。