スローライフ

「スローライフ」という言葉が流行語になったことがある。今ではもう死語になってしまったかもしれない。文字通り、ゆっくり、のんびり生きようという意味だけれど、それが消えてしまったのは、結局ほとんどの人の生き方が変わらないかったからだと思う。

スローライフとはひとつの思想でしょう。ゆっくり、のんびり生きるということは、そのために多くのことを犠牲にする覚悟が要るということでもあったのに、のんびりという気分、ゆっくりというカッコよさだけに憧れたから、ちょっとしたマイナス要素に行き当たった時、大多数の人々が恐れおののいてそこから雲散霧消してしまったのでしょう。

それでも流行語になったことで、その意識の一部は社会の中に残り、宿根のように、いつかこんどはちゃんとした芽を出す日がくる可能性を残したと思う。歴史は繰り返す、と言われるが、単純に繰り返すことはあり得ない。時間は巻き戻せないのだ。似ているようでも中身を変え、中身が同じでも違うかたちを取って現れる。

結局、もっとお金が欲しい、必要だという人(つまりわたしだ)にはスローライフは無理なのである。生まれた時から莫大な遺産があるような、そんな人がそういう思想を持てるならば可能かもしれないが、まあそういう人はいないだろう。生きていくのにやっとでは思想する余裕すらない。スローライフとは絵に描いた餅そのもの。けれど絵に描くことは無駄ではない。いつか食べてみたいと思うから。そしてそのために余裕なくあくせく働くのだから、望む方向とは逆ながら、結果的に社会の役には立っているのである。

風しだい

「グライダー日和」  水彩

グライダーはいったん飛び立てば、ある意味風次第ともいえる飛行機です。枯葉のように風まかせではなく、ちゃんとコントロールします。自然の風でサーフィンしているような感じでしょうか。

スマートでナチュラルでナイーブ。自然体な感じがカッコイイですね。無理やり、言葉的に人間に当てはめると「風来坊」とでも言えるんでしょうか、でもこちらはちっともカッコよく感じません。

人は自力で飛ぶことに憧れてきました。エンジンを発明し、その推力で短い翼でも飛べるようになり、もっと早く、もっと長く飛ぶことが目標になりました。そして、とうとう戦闘機を作りました。

グライダーもそれなりの規模で戦争に使われた例はあります。でも、結局その風来坊性が、グライダーを主役にはしませんでした。人間も、風来坊では(たぶん)戦争やあらゆる競争というものに勝てないでしょう。カッコ悪くても、それがいいところだとわたしは思うのですが。

アリッターシター

「夕焼け」のための習作

昨日ガソリンスタンドで車に給油、プリペイドカードで支払った。店員がこちらに領収書を見せながら「あと○○円残っています」と言っている(らしい)が、全然聞き取れない。

想像するに、○○ℓ入りました。リッター〇円引きなので、○○円になります。カードにはあと○○円残っています、と言っている。金額だけは辛うじて聞き取れたような気がする(領収書を見ているから)。

店員は若い、童顔の(20代?)日本人(の男の子?)。最後にきっちり営業用のスマイルで「アリッターシタ―」。「ありがとうございました」と言ってる気がするらしい。プリペイドカードは「プリカ」、トレーディングカードは「トレカ」、クレジットカードは「クレカ」やスマートフォンの「スマホ」は日本人にはもう日常語化しているが、日本観光中の多くの外国人にはまだ解からないと思う。「めっちゃ」「ヤバい」は、観光で来る外国人には、むしろこちらが普通の日本語だと思われているようだ。

現代日本語は、日本人であるわたしにも「ムズイ(難しい)」。これを漢字で書くと、若い人は「ナンシー?」と訊く。教育漢字というものはすでに廃止になっているのだろうか。薔薇、林檎、躑躅など「日本人なのになんで漢字(中国語の意味?)で書くの?」ひらがな、もしくはカタカナで書けってことか。ところで皆さん、さっきの3つの漢字、読めるでしょうか?確かに、もう、バラ、リンゴ、ツツジとしか書かれていないことも多いもんね。外国人もひらがな、カタカナなら読めるらしいから。