ポインセチア・冬の日

「ポインセチア・冬の日」 水彩、ファブリアーノ紙

ポインセチアの連作(練習)中。前回ブログのモチーフを作品にしてみた。絵画教室の窓から見える風景だ。この静かな冬の日のずっと向こうに、砲声が響き、多くの人々が無駄死(と言っては過酷だが)ともいえる死を半ば強制され、残された家族や人々の怒りや悲しみが毎日積み重なっていくのを考えるのもつらい。こんな平穏が、なぜそんなにも難しいのだろうか。

昨日、久しぶりに知人の個展などのため銀座へ行ってきた。忘れかけていた歩行者天国を歩くと、冬とも思えないほど “暑かった” 。汗をかいてしまい、帰りに風邪をひくのではないかと心配になるほど。中国語も増えてきた、英語も多く聞こえてくる。平和だなあ、と思う。一方で、観光旅行など一生縁のない人々も数億人はいる現実。そんな中で絵を描き、発表すること。何をどう考えたらいいのか、分からなくなる。

この絵は思ったより簡単に描けた。白い窓枠と、窓の向こうの木の枝にマスキング。ポインセチアを描いたあとは、奥の風景から徐々に色を重ねるだけ。フロアの板の幅は “適当” 。窓の向こうのアパートをもう少し低く描けばよかったな、と思うくらいで、まあまあイメージどおりにできた。

失せモノ還る

「窓辺のポインセチア」 水彩スケッチ

5~6ヶ月間見つからなかったスマートバンド(スマートウォッチのようなもの)が急に見つかった。車の、後部座席の前の床に、ポロっと置いたようにあった。ドアを開けたら、すぐ目の間に、「やあ、しばらく」って感じで。

あんなに何度も探したのに。しかも、その可能性があると考えて、荷物も外に出して探しまくったはず。それでもなかったから、気がつかないうちにどこかで落としたんだろうと、完全に諦めていた。昨日だって、そのドアを開け、その床の同じ場所にスケッチブックなど置いたりしたばかりなのに。不思議。

良かった。そんなに高価なものではないけれど、息子が就職したばかりのころ、わたしと妻の両方に買ってくれたものだから、失くしたことは気にしていた。それにしても、どこから転がり出てきたのか、謎のままである。

「わたし」と「わたしたち」

「わたしたち」というとき、「わたし」はすでに誰か他人の陰に隠れている印象がある。複数の中に紛れて、自分を幾分か隠している感じがする。

「わたしは」と一人称で言うとき、それは自分の選択や行動を、他人の誰かのせいにしない、ということにもつながる。それは厳しい世界の始まりになる。一度巣立ったら、鳥はなにがあってももう誰のせいにもしない(できない)。鳥だけでなく魚だって、動物だって、昆虫だって同じこと。イワシの群れ、ミツバチの群だって、ひとつの行動をするとき、その一匹一匹が隣のイワシやミツバチのせいにしているわけではなく、本能的な危機管理能力のかたちがそうなっているだけのことだ。違うのは人間だけ。

逆に言えば、「わたし」を捨て、「わたしたち」を大きくすることで人間は社会を作り、文化を創り出せたのだ、という言い方もできるかもしれない。でも、最近は「わたしたち」では文化は創り出せないような気がしてきた。「わたし」しか、できないのではないか、と考えるようになった。ベートーベンは「わたしたち」ではない。「ピカソ」も「わたしたち」ではない。「わたし」のスペースをもっと拡大しなければ、「わたし」は他人の誰かの陰に隠れたまま、イワシやミツバチのように終わる。それもまっとうな生き方の一つではあるけれど。