キーボードを替える

2つのキーボード

キーボードが壊れてまる2ヶ月。新しいキーボードを見つけるまでのあいだ、息子の空いているAnkerのキーボードを使って用事を済ましていたが、英字配列だったため時々入力に戸惑った。

新しいキーボードはキー配列は当然、疲れにくさとか机の上でのサイズ、キーを叩くときの音、キーの沈む深さ等々検討したけれど、探せば探すほど見つからない。結局、振出しに戻って「まあ、使えれば何でもいいや」ということにしてしまった。

IT化が進み、AI化がさらに浸透すれば、人は仕事から解放されて自由な時間を持てるようになり、より自分らしく生きられるようになる―開発者というものは常にそう言うのだけれど、それが一種の「まやかし」であることは、歴史がいくらでも証明してくれている。

パソコンが発明されなければわたしの腱鞘炎も起こらなかったかもしれない。というとすぐ「反進歩主義者」と烙印を押されそうだ。けれど、開発とニーズの関係は多くの場合、開発者によってニーズが作り出されるもの。言葉を換えて言えば「欲しいとも思っていなかったものを、ずっと欲しかったように思わせる」こと。

スローライフ

「スローライフ」という言葉が流行語になったことがある。今ではもう死語になってしまったかもしれない。文字通り、ゆっくり、のんびり生きようという意味だけれど、それが消えてしまったのは、結局ほとんどの人の生き方が変わらないかったからだと思う。

スローライフとはひとつの思想でしょう。ゆっくり、のんびり生きるということは、そのために多くのことを犠牲にする覚悟が要るということでもあったのに、のんびりという気分、ゆっくりというカッコよさだけに憧れたから、ちょっとしたマイナス要素に行き当たった時、大多数の人々が恐れおののいてそこから雲散霧消してしまったのでしょう。

それでも流行語になったことで、その意識の一部は社会の中に残り、宿根のように、いつかこんどはちゃんとした芽を出す日がくる可能性を残したと思う。歴史は繰り返す、と言われるが、単純に繰り返すことはあり得ない。時間は巻き戻せないのだ。似ているようでも中身を変え、中身が同じでも違うかたちを取って現れる。

結局、もっとお金が欲しい、必要だという人(つまりわたしだ)にはスローライフは無理なのである。生まれた時から莫大な遺産があるような、そんな人がそういう思想を持てるならば可能かもしれないが、まあそういう人はいないだろう。生きていくのにやっとでは思想する余裕すらない。スローライフとは絵に描いた餅そのもの。けれど絵に描くことは無駄ではない。いつか食べてみたいと思うから。そしてそのために余裕なくあくせく働くのだから、望む方向とは逆ながら、結果的に社会の役には立っているのである。

風しだい

「グライダー日和」  水彩

グライダーはいったん飛び立てば、ある意味風次第ともいえる飛行機です。枯葉のように風まかせではなく、ちゃんとコントロールします。自然の風でサーフィンしているような感じでしょうか。

スマートでナチュラルでナイーブ。自然体な感じがカッコイイですね。無理やり、言葉的に人間に当てはめると「風来坊」とでも言えるんでしょうか、でもこちらはちっともカッコよく感じません。

人は自力で飛ぶことに憧れてきました。エンジンを発明し、その推力で短い翼でも飛べるようになり、もっと早く、もっと長く飛ぶことが目標になりました。そして、とうとう戦闘機を作りました。

グライダーもそれなりの規模で戦争に使われた例はあります。でも、結局その風来坊性が、グライダーを主役にはしませんでした。人間も、風来坊では(たぶん)戦争やあらゆる競争というものに勝てないでしょう。カッコ悪くても、それがいいところだとわたしは思うのですが。