夜景と透明水彩

夜景を描いてみる
「夜景ー花屋の前で」 水彩

「夜景」は透明水彩向きの画題ではないんだなー、とあらためて思う。透明水彩という技法は、薄~い絵の具層を透過した光が紙の白さを反射して、ふたたびその層を透過して眼に入る仕組みを原理にしたものだから、紙を黒々と塗ることは本来的に矛盾することになる。

ちなみに油絵具では、透明層と不透明な物質層があり、透過光と物質反射(表面反射)という、二つの視覚への通り道がある。それが油絵の重厚感と深みを生む(もっとも、現代の絵画ではこの「透明層」が嫌われていますが)。ついでに言うと、同じ水彩画といっても「不透明」いわゆるガッシュで描けば、油絵と基本的に近い考え方になります。ただし、油絵具のような透明層が無いので、それはそれでまた別の問題が出てきます。

その矛盾を和らげるには、暗い色はなるべく薄く塗るほうがいいことになる。だから、紙の白さを残すんですね。残った紙の白さとの対比によって、より暗く「感じさせる」のが、透明水彩という技法です。見たままではなく、効果を考えて描かなくてはならない。そういう意味で、油絵よりよっぽど高度で、また技術的にも難しいんです。
 少し脱線しますが、子どもには、水彩より油絵を先に親しませた方がいいというのはわたしの主張でもありますが、日本はそういう意味では「(自分も含め)周りを汚さない」「匂いがある」「荷物が重い」等々、芸術という点からみれば本質的でないことが優先順位が高い。いろいろ問題はあるが、簡単な方から始めるのがいい、というのが基本です。

話が逸れましたが、そういうことで、「夜景」は普通に思っている以上に難しいんです。なんだか弁解に聞こえますが、だからチャレンジしたくもなるんですよね。
※2024.7月11日に「夜の花屋前」というタイトルで、同じモチーフで別バージョンの絵を描いています。どうぞ比べてみてください。

モルドバの人

「モルドバの人」 紙、水彩、アクリル

最近何度か投稿した「顔に緑」の習作の一枚として途中まで描いたが、大晦日に洗い流してしまった。元旦、改めて描き直してみた。仕上げるとかの意識はなく、むしろ背景のマチエール(材質感)の方に重点がある。

モルドバはウクライナと南西部で接し、ともに黒海に面している。彼女の心情に思いをはせる。

明けましておめでとうございます

「種(たね)のかたち」 SM、テンペラ、アクリル、蜜蠟
「Apple村の風景」―こちらも反放置だった

明けましておめでとうございます。今年も元気で行きましょう。

6年ほど前、100号を含め何点か「種」シリーズ?のようなものを連作したことがある。その中の一点が、どうしても仕上げることが出来ず、はんぶん放置状態になっていた。暮れに(と言っても昨日のこと)、来年は(と言っても今日のこと)テンペラを描くぞ、と言った手前、昨日のうちにメディウムだけは作っておいた。

8カ月もテンペラ制作をしなかったので、もう描き方を忘れている。玉子を割り、油とかき混ぜてメディウムを作っているうちにだんだん思い出してきた。顔料を入れる箱の上に、プリントだのいろいろ乗っかっているのを片付けながら、何を描こうかと、地塗済のキャンバスを探しているうちに、この “半放置状態” のものが転がってきた。まさしく種を播いておいたようなもの。

新作ではないが、まずここから手を付けました。下の絵も半放置状態でしたが、ついでに仕上げてしまいました。