CG:コンピューター・グラフィックス

すわる女性 CG

上の絵は写真をもとに、ペンブラシというソフトで描いた。イラストなどを描く人の誰もがやる、初歩中の初歩のCG。誰でもやるが、誰が描いてもおなじになるわけでもない。たとえば写真の上にトレーシングペーパーを置き、その上から鉛筆でなぞるというだけの単純作業でも、十人十色のなぞり方をするようなもの。

「コンピューター・グラフィックスなど誰がやっても同じ結果になり、個性を発揮できずつまらない」と以前は考えていたが、今は違う。同じメーカーの鉛筆を使ったからといって、誰でもアングルやピカソのようなデッサンができるわけではない。CGは道具の一つに過ぎない。使い方にもむしろ「個性が出てしまう」。

一方で、コンピューターは鉛筆とか毛筆とかの画材の違いというレベルにとどまらない、別次元の道具でもある。自動車の普及が私たちの生活を変え、日々の考え方にまで大きな影響を与えてきたように、CGを経験することがわたしの思考法だけでなく、感性にも(いいかどうかは別にして)大きな影響をあたえ(てい)るのは間違いない。

その影響で自分がどう変われるのか、楽しみながらCGを描いている。このような絵や動画制作・編集。その前提となるカメラやパソコンそのものの基本知識。どれをとっても難しいし、考えるだけでも億劫だ。何十回も同じ間違いを繰り返すどころか、時にはすっかり忘れてしまう。誰のせいにもできないから、「お前が難しすぎる」とパソコンに当たり散らしながら、とりあえずこの瞬間もパソコンに向かっている。

Study

Apple ‐包む study1
             Apple-包む study2  (画像を拡大してみてください)

実際の材料を使った制作のための習作(study)を描いている。パソコン上にはたくさんのブラシ(筆)があり、良さそうなものを一つ一つ試しながら使っている。どれほどの数のブラシがあるのか見当もつかないし、果たしてどれが最適なのかも全然分からない。おそらく一生かかっても使いきれないほどの数や使い方があると思う。なんとなく有名なものを試してみる程度しか、今は選択力もない。

描きながら「ふーん、こんなことができるんだ」。ひと昔前、初歩的なペイントソフトを使ってみて、使い物にならないと思ったのがウソのような進化。たとえば油彩ならぬるっとした手応え感や、水彩筆が紙とこすれあったり、じわじわと染みていく生理的な感覚はまだないが、鉛筆ブラシやペンブラシなら既にそうした触感もあるというから、それらがパソコン上で感じられるのも時間の問題だろう(私が知らないだけで、もうできているのかも)。

「英語ができるようになるには、頭が英語脳にならなければならない」と聞いたことがある。日本語で考え、それを英訳しているようではだめだ、という話だった。何か国語も話せる人は、話すときには瞬時に、その言語で考えるように頭が切り替わっているらしい。一種の多重人格のような感じだが、パソコンもそうなのかもしれない、と感じてきた。

水彩絵の具をチューブからパレットに絞り出すとき、頭は、それがいま塗られている絵の具にどう混じりあうか考えている。そして次の瞬間にはそれも忘れて、目の前の状況に反応していく=『水彩脳』。パソコンで水彩絵の具を塗るときはまだ、頭の中で現実の絵の具を想像している。それでは頭の中で英作文してから話すようなもので、かったるい。習作(study)を重ねながら、パソコン脳をStudyしている。

パソコンで描く

「薔薇のスケッチ」

昨日のスケッチも、上の絵もパソコンだけで描いたもの。パソコンだけで描いたものは、これまでもたくさんこのブログにも載せている。これまではお絵描きを楽しんでいるだけだったが、コロナ禍のいま、パソコンのお絵描きをもっとまじめにやらなくちゃ、そう思い始めた。

「自作パソコン」でも紹介したように、私のパソコン環境もずいぶん変わってきた。それにともない、パソコンに対する私の態度も少しずつ変わってきた。1年前より、ずっと親しくなってきた(つもりでいるが)。それでも時折癇癪を起こし、マウスを叩きつけ、壊しては無駄な出費と反省を繰り返す。

私はパソコンの方が悪いと思っているが、息子に言わせると200%以上私の方に非があるという。実は、私のパソコンはかなり狡猾な奴で、息子が来た時だけ、実に素直に言うことを聞くが、彼がいなくなったとたんに、再び私に意地悪をする嫌な奴なのだ。とばっちりを受けているのがロジクールのマウスと机。彼らに罪がないのは分かっているが…ごめんね、マウス君、机さま。

パソコンがご機嫌の時は、なんでもすいすいと進み、パソコンがあることに感謝したくなるが、ちょっとでも気に入らないと、すぐへそを曲げ、小さなことをいちいち確かめてくる。「そんなこと、ちょっと考えればわかるだろ!」それがいけないのだという。なんでもハイハイと言うことを聞くのが、パソコンと上手に付き合うコツなのだとか。まるで2歳児だ。今に見ていろ、パソコンめ。お前もそのうち大人になれば、大人の苦労もわかるだろう。