素顔のわたし①

ある日の夢 (CG)

「新しい日常」という素敵な言葉が、「ウィズ・コロナ」というとんでもない形容語をくっつけられて、しかもあろうことか政治家に取られてしまった。まことにもったいない。でもそれならと、「これまでの日常」「ふつうの日常」はどうだったのか。足元をあらためて見直してみるのも悪くないような気がした。

そんなわけで、先ずは今のじぶんの素顔の簡単なスケッチをしてみることにした。まず外見。とりあえず年齢は100歳未満としておこう。今日(2021.2.5)現在、身長169cm、体重68.1kg、体脂肪率18.5%(軽肥満)で8年にわたる腰痛持ち。重い荷物はできるだけ持たない。頭のてっぺんは禿げ、眼は近眼、耳もかなり遠い。同年の友人と比べると10歳は年上に見えるらしい。どんなシルエットを想像しますか?杖を持った腰曲がりのお爺さん?

顔?素顔という以上、いちおう顔を描かなくっちゃ。―頭は割と小さい(たぶん脳も)が、手入れしない髪の毛が茫々(数は少ない)だから、自分の影を見るとモヘアのようにでっかく見えたりする。眼は糸と毛糸の中間くらいに細く(中学のころ、よく居眠りと間違えられた)、薄い眉毛と目尻は垂れ下がっている。鼻は高くも低くもない。鷲鼻でも尖ってもいない、要するに平均的な鼻。口ねえ。特別に大きく開くこともできないし、おちょぼ口でもないから、これも普通かな。ただ、母の写真を見て気づいたのは、結んだ口角の下にできる「しわ」のかたち。たしか子どものころにはなかったが、年を取ってから現れてくる、これは遺伝だろう。顔全体でいうと、中心線から端へ行くほど地球の重力が強く働いている。顎はとくに四角いわけでもないが、いまのイケメン風に細いこともない。でもまあ、ヒカクテキすんなりしている方ではないかな。無精ひげ以外に髭は生やしていない。歯はまあ健康だと、歯科医の歯っ欠け太鼓判がある。

趣味・・・いちおう俳句はやっているが、まだ「趣味です」といえるほどのめり込んではいない。趣味といえるにはもうちょっと深みにはまらないといえないような気がする。でも10年続けている。わたしの意欲作は句会ではほぼ0点になることが多い。気持ちが空回りするタイプの句なのですね。スポーツには最近縁がないが、若い頃は体を動かすのは大好きだったので今でも興味はある。陸上競技、野球、相撲、水泳、登山、スキーをはじめ、なんでも今でもやりたいと思う。まあ、見るのもやるのも好きだとだけ言っておこう。勉強はひとことで言って「好き」だが、「成果を求めないタイプ」(我ながら上手な言い方ができた)。努力とか根性とかが嫌いな言葉だと言えば、勉強・スポーツの到達度が想像できるはず。

ここまで書いて、これで素顔がスケッチできたかといえば、「わたしのスケッチ観」的には100点満点の3点、かな。一次資料を出しただけだから。

変わらないものがある

「Apple-読書」(CG)

今日は日中の大半、YouTubeを見ていた。昨夜たまたま目にした「オイラーの公式を中学までの数学で理解する」という鈴木貫太郎氏の動画。2、3年前に話題になった、同じ題の本とリンクしているとある。本はそのその当時書店でちらっと見たことがあり、「博士の愛した数式」という映画が話題になっていたころだった。昨年は京都大学の望月新一教授が、数学の超難問のひとつ「ABC予想」を完全に証明したとして国際的な話題になった。だいぶ前になるが、フェルマーの死後300年以上、誰も解くことができない歴史的難問として有名な「フェルマーの最終定理」が完ぺきに証明されたと発表された時も、世界中が大いに沸いたものだった。近年は巷でもちょっとした数学ブームであるらしい。

 わたしを含め、数学の苦手な人は相当多いはず。けれどそんな人でも一方で、数学の持つ抽象的で簡潔な世界に、憧れに似た気持ちを抱いていることは少なくない。数学は科学の第一歩である。数式で証明されたものは、いかに好き嫌いがあろうと、感覚的になじめなかろうと認めないわけにはいかない。真理というものがあるとすればそういうものだ、とわたしたちはなんとなく考えている。それが全然わからないというのは、恥ずかしいというより、本当はまずいのではないかとさえ心の中では感じている。けれど、意を決して数学の本を引っ張り出してみても、これはとても歯が立たないと再び諦めてしまう人がほとんどではないか。

それが、オイラーという数学、物理分野の大天才の数式を中学生までの知識で理解できるというので、頭の隅からずっと離れずにいたのだった。動画を見ると中学生までの数学しか使わないというのではなく、「中学生までの数学的知識があれば、その上に三角関数や微分積分などの説明を加えて」オイラーの公式まで理解できるようにするというものだ。確かに理解力のある中学生なら可能かも、と思わせる平易で見事な説明だった(中身は全然平易ではない)。興味ある方はご覧あれ。東大入試問題として有名な「円周率πが3.5より小さいことを証明せよ」も、さりげないがとても面白かった。

 流れで、ヨビのりたくみ氏(初めて知った)の「アインシュタインの(特殊)相対性理論」も見てしまったが、これも説明がじつに上手。こんな授業を中学、高校でやってくれたらもう少し違う道に進んだかもと思うが、それは仕方ない。コロナ、コロナで世の中沈む一方、しかも対策が支離滅裂状態だが、ハヤブサはちゃんと地球に帰ってくるし、地球の自転も一瞬だって止まらない。ただ現象だけにつられて右往左往するのでなく、変わらないもの、視点の置き場所を考えることで世界はもう少し違ってくると感じた一日。

明日から「春」

春を待つ (CG)

今日は節分。例年なら2月3日なので、うっかりすると春を1日失ってしまう人がいるかもしれない。節分の翌日が「立春」で、暦の上では春になる。「二月」は一番寒い月とも云われるが、俳句の季語ではそういうわけで「春」に入るのだそうだ。

今日もパソコンでCGの練習。昨日覚えたことを、今日は完ぺきに忘れてしまう。自分の頭どうしちゃったんだろうと不安になるほど記憶力がなくなっている。練習で作った画像はパソコン上に残っているからやったことはわかるが、どうやってそれを描いたのか、描いた記憶自体がないこともある。ちょっと怖いです。

上の絵は「レイヤーマスク」という、基本中の基本のツールを使って描いた。10年も前から知っているのに、使えないまま今日まで来てしまった。まだぎこちないが、やっと半分理解できたような気がする。49点?まだまだまだ。

コロナ感染拡大による緊急事態はどうやら延長されそうだ。こちらは一層厳しい「冬」が続く。まったく気が滅入る。絵でも描かずにはいられない。