腱鞘炎

最近、腱鞘炎が頻繁だ。そんなに手指を酷使している、つまり「お仕事」しているのかと思われそうだが、実はその逆。だから、なぜ頻繁に腱鞘炎になるのか、不思議だった。

腱鞘炎といえばピアニストと連想する人が多いらしい。わたしも実はそう思いこんでいた一人なのだが、ピアニストを含む音楽家の整形外科的な手の病気を見ると、腱鞘炎は全体の1/3なのだそうだ。意外に少ない気がするが、内容をみると手(腕)の筋肉の使い過ぎによる筋炎(筋肉痛)、筋肉の骨への付着部の炎症(付着部炎)の3つで全体の70%だが、そもそも腱鞘自体が身体のごく一部にしか存在しないことを考えると、やはり噂は正しかったと言えそうだ。

身体を動かすということは、骨が動くことでもある。その骨を動かすのは筋肉。骨にくっついた筋肉が縮んだ伸びたりすることで、骨の位置を変える=身体の動きを作り出す。骨にくっついた筋肉の一部が繊維状の「腱」になっているところもある。手足の指など繊細な動きをするところでは、「腱」が特別なポイントを通過する必要がある。そのポイントが鞘(トンネル)のようになっていて、腱の「脱線」を防いでいる。けれど、なんらかの原因でその鞘が腫れたりすると、そこを通る腱と擦れてしまうことになる。それが腱鞘炎。

腱が頻繁に鞘を出入りすれば擦れる機会も増える。とうぜん腱鞘炎も増える。ピアニストの例はその典型である。けれど、そうした機会が減ったのに腱鞘炎が増えたのはなぜか。つまり腱、鞘のどちらか、または両方がなぜ腫れたのかということだ。人間の身体は、そのおおよその仕組みは分っているようだが、すべて解っているわけではない―休ませ過ぎもあるかもしれない・・・。「たまには仕事をしろよ」そう言われているような気がする。でも、腱鞘炎になってから仕事をするってのもいかがなものか、なんてね。

腐っても鯛

鯛のカブト焼き

「腐っても鯛」という言葉が今も(本来の意味通りに)使われているかどうか、甚だ心もとない。「鯛は腐りやすい」とか「鯛は高級魚なので、もったいないから腐っても食べる」という意味だ、という珍答(怪答?)をどこかで見た記憶があるからである。

「腐っても鯛」を辞書で引くと「本来高い価値を持つものは多少悪くなっても品格がある」というほどの意味だとある。少し前になるが「武士の一分(いちぶん)」という映画があった(藤沢周平原作、山田洋次監督)。武士にとっては屈辱的というほどの仕事をさせられてはいても、心の中の武士の魂は失わないという男の姿を描いていたが、最近、そういう心情がやっぱり大切だと思っている。

特に芸術と呼ばれるものには高い価値観が不可欠ではないか。「お高くとまる」などと揶揄されることも多いが、それなりの品格を秘めたものからでなければ深い感動は得られないという気がする。一見ゲテモノ風であったり、エロティック、あるいは子どもじみた風貌であっても、ある種の気高い鋭さというか、底光りする輝きというか、そういうものを求め、内蔵していないものは結局本物ではない。それに気づき、磨き、身につけた人だけが、そこにたどり着けるもののような気がする。けれども、そこに至ったとしても、気づかない人々にとっては「腐った鯛」に過ぎないかも知れない。

わたしは鯛が好きである。腐った鯛はもちろん食べない。刺身もいいが、どちらかと言えば頭、カブトの方が好きである。面倒だからお吸い物にはしない。ひたすら単純なカブトの塩焼き専門である。そして目玉から食べる。刺身は一つの味しかなく、それもワサビと醤油のレベルに左右されるが、頭には数十種類の異なる味、触感があり、刺身の比ではない。そしてそのいかつい顔に似合わない上品な味。丁寧に鱗を取り、上手に焼けばその皮もまた味わい深い。まさに腐っても鯛、なのであるが、食べるには少しでも鮮度の良いカブトを選ぶのがよい。

今日は少し強気


Apple by a book 2021 mixed media

これじゃダメかなと気弱になったりしながら、この作品は結局これで終了とした。一昨日に比べ、細かいところで何となく納得がいくように調節できた。けれどいちばん変わったのは気分。今日は幾分か強気のところがあるのでOKできた。

完全に満足ということはないが、この作品に関する限り、これ以上加筆しても、今以上良くはならないだろう。さらに加筆するより、新しく描いた方がこういう場合は間違いない。9月1日掲載の制作中の絵と比べても、良くなったかどうかは見る人次第。

青の縁取りは、AppleもBookも同じ色にしてある。そのため、この2つはおなじ輪郭で囲まれた一つの平面になっている。テーブル(らしきもの)のエッジ(らしきもの)も同じ色。本の輪郭とテーブルの縁が同じ色なので遠近感はきわめて曖昧=平面的になった。小さく小分けされた各輪郭線内部の色もなるべく平坦に塗ってある、ように見えるが、こまかいところで単純な塗りではなかったり、明暗で立体感を作ったりして、若干混乱することを想定して描いている。それが「良い試み」かどうかは、今の段階では判定できない。