作家という表現

「冒険」  水彩

久しぶりに上野の東京都美術館、乃木坂の国立新美術館を廻ってきた。腰の具合が悪いため、駆け足で、3つの団体展(上野の「一水展」、新美術館の「行動展」「新制作展」)と企画の「時代のプリズム」展(国立新美術館)を観た。

3つの団体展はそれぞれ実力の作家たちがそれぞれの力を発揮していて見ごたえがあった。時に高齢の作家が新しい境地を見せていたり、継続することの大切さも感じた。
 「継続は力なり」などと誰しも決まり文句のように言ってしまうが、制作を継続するには膨大な労力と強い意志が要る。制作のスペースを維持し、制作の気力を維持するには肉体的な健康だけでなく、旺盛な好奇心が必要なこと。そして何より、そこから生じる様々な不都合を全部引き受ける覚悟が要る。それを淡々と?毎日続けていくのが「作家という表現」。展覧会はそれを観せてもらいに行くようなものでもある。

ショーウィンドー

「ショーウィンドー」  水彩

いわゆる繫華街などを歩くたび、「ショーウィンドー」は現代的ないいモチーフ(題材)だと思っていたが、なかなか絵にする機会がなかった。

多くの人がネットでショッピングするのが主流になった来た昨今、このままでは「ウィンドー・ショッピング」なんて言葉どころか、ショップで買い物をすること自体が無くなり、ひいてはショーウィンドーそのものも、単なるモニターになってしまうかもしれない、と危機感を抱いた。「いま、描いとかなくちゃ」って。

ショウウィンドーの前を一人の女性が通り過ぎる。その情景を作品化してみた。まあ、最初の手応えとしては悪くない(だいぶ古風だが)。このモチーフで10枚は描けるだろう。先日描いた「柿」を、デザイン化して強引に入れてみた。

熱すぎる「柿」

「柿の習作」  水彩

そろそろ秋めいて(欲しい)。そんな願いをお天道様はちっとも聞いてくれない、なんてグチを言っている間に、ちゃんと秋は忍び寄ってきて、自然はすでにその先の冬にもちゃんと備えている。出来てないのは「お天道様はちっとも・・」なんて、まるで昭和の時代劇映画の、娘っこのセリフまがいの、オラたちくれえのもんだっちゃ。

スーパーの店頭にはまだだろうと思っていたら、もう数日前に見た、という声があった。まあ、9月も半ばを過ぎたんだから、出てても不思議はないんだが。

というわけで、柿を描いてみた。ということは「写真から」のスケッチだってことになる。写真では4個の柿が、それなりの大皿に乗っている。その皿もれっきとした作家のものだから描く価値もあるのだが、ここではあえて省かせてもらった。こういうシチュエーションなら、昔風の「土筆(筆)柿」の方が似合いそうだが、残念ながら手もとにない。ときおり通りすがりの庭にその柿が生っているのを見ると、欲しいなあ、描きたいなあ、と思う。我が家の庭にも柿の木があったが、虫の害が酷く、駆除をしているうちに本来守るべき柿の木の方を傷め、枯らしてしまった。虫の駆除は素人にはかなり難しいんですね。

絵としては、もっと秋が進んで、日差しの熱も枯れてきた頃、秋の長くなった影を引きずった柿が,、消えかかる夏の炎を抱くように地面ちかくに佇む、そんな風情を狙ったのだが、現実世界はまだまだ35℃の猛暑日。とても「枯れた熱」どころか「真っ盛りの熱」だという「惨敗」感が露わ。この絵から、そういう「悔しさ」をゲットしてくれたら感激だ。