お尻を温める

「ざくろ」水彩

血行を良くするには温めるのがいい、というより、普段より熱くなるところ(炎症)は冷やし、通常より冷えるところ(血流低下)は温める。要するに“平熱” にするのがいいっていう、単純明瞭な身体感覚ですよね、きっと。

先週初めから右脚各部が痛くて、今のところ“歩行困難” 。実際に脚が悪いわけではなく、痛みは腰から来ているのがこれまでの治療経過から分かっているので、とりあえず腰とお尻を温めています。悪いことに、九月になってもまだ真夏日が続いています。わたしは北国育ちのせいかクーラーに弱く、ちゃんとお腹をガードしないとすぐ腸の働きが悪くなってしまうので、クーラーをつけながら、お腹には腹巻、腰にはホカロンを当て、お尻には冬用の暖房電気座布団で素足という、矛盾した、滑稽な恰好で過ごす羽目になっています。

秋の美術展の時期です。友人、知人から団体展、個展の案内状が届きます。わたしも楽しみなので、なんとか観に行きたくて一分一秒でも早く良くなるようにと焦るけれど、昨日は膝、今日は腿と足首、というように、日替わりのようにあちこちに痛みが出て、(そこが悪いわけではないのに)駅まで歩くのさえやっとという状況(たった450mなのに、途中何回も休んでしまう!)。行きはよいよい帰りは恐い。帰宅困難者になりそうで出かけるのが不安です。気持ちも落ち込んでしまいます。

今できることはスケッチだけ。実物からでも写真からでもいい。とにかく描いている時間は痛みを忘れることができ、描けば少しは上達もする。そんなわけで、“鎮痛剤代わり” にスケッチを描いています。でもやはり、本音は(案内をくれた)彼(女)らがどんな発見をし、それをどんなふうに身体を張って、作品に昇華させているのかを見にいきたい。悔しいし、彼らには申し訳もないけれど、今回は自重です。

ざくろ

ざくろ

水彩教室のSさんにねだって石榴(ざくろ)を何個か頂いた。食べるためではなく絵のモチーフとして。単体でも良かったのだが、枝付きの石榴はもっといい。とりあえず3枚ほど描いてみたが、今年はざくろを描きたいとずっと思っていたせいか、なかなか満足しません。

このスケッチはわざと安物の、少しバサバサしたナイロン製の筆で描いています。荒っぽさを出してみたかったからです。高級な筆はもちろん使い良いのですが、そのぶんきれいに出来過ぎてしまうマイナス面もあります。きれいな色はいいのですが、それが多少の荒さと結びつくと、より生き生きとするのではないかと思ったのです。

日本ではザクロを食べる習慣のある地域は少ないようです。実も小さく、酸味も好まれないからでしょうか。スーパーなどで売っているのを見かけたこともありません。南アジア、中東では露店でもよく見かけます。ジュースに加工したり、そのまま食べたりするようですが、何しろ日本の数倍の大きさがあるのできっと食べ応えもあるのでしょう。

ザクロは英語でPomegranate(ポングラネート)だそうです。pomeはリンゴのこと。リンゴように丸いからでしょうね。granete のもとの意味は「種子」。種の多い果実だからでしょう。ただ、今ではGranate といえば「手りゅう弾」と思う人の方が多いかもしれません。戦争の多い20世紀以降、使われる頻度はこちらの方が多いのではないでしょうか。ザクロの色はGarnet(ガーネット)、和名では柘榴石(色)です。マゼンタに近い色ですね。

Where it’s at 素敵な場所

「少年と犬ー冬」2002年 F100 テンペラ、糊、書道用紙など

素敵な場所は、今はどこにあるんでしょうか?目の前に、摘んできた野葡萄を置いた爽やかな高原のロッジ?渋いチェロのレコードが回っている、歴史ある街角の中のカフェ?静かに降る雪を見ながら暖かいミルクコーヒーを飲んでいるアトリエ?嵐の過ぎるのを待って寝そべっているテントの中?いつでも戻れると思っていたのに、いつの間にか、どれもとても遠く感じる場所になってしまった。

その場所はいつでもその場所にあり、友人たちもそこで楽しく宴を楽しんでいる。そこに自分もいる。そんな素敵な場所は今はどこにあるんでしょうか。

現実にそんな場所はいくらでもあり、その気にさえなれば誰でも(たぶん)行くことができる。そして、そこへ行けば、きっと想像以上のことが目の前で起こる。旅の面白さはそこに尽きる。ここ数年、旅らしい旅をしなくなった。途中で歩けなくなったらどうしよう、そんな心配が先にたって、旅に対して積極的な気持が持てなくなってしまった。東西南北どちらへでも、電車で1時間も乗れば、机の前の窓から見る風景と違うものを見ることはできる。そのうえ予想外のことは必ず起きる。それが分かっているのに出かけないなんてどうしちゃったんだろう。

脳ミソに無駄な脂肪がつき、足腰からその分の筋肉が無くなって、体重は差し引きが釣り合って “健康” 的だなんて。そんなものが一体何だというのだ。動物は動けなくなったら餌を摂ることはできず、死ぬしかない。動くことが動物だという単純過ぎる意味でウオーキングなどが奨励されているのではあるけれど、動くだけなら機械も空気も動いてはいる。まして、ただ歩くことが目的の動物などいるはずもない。
 素敵な場所はどこにあるのか。どうやったらそこに行けるのか、考える脳の足腰を鍛えるために、夢の中を歩く。