T団地の午後

ありふれた風景だが、10年後も「ありふれて」いるかどうかはわからない。住まいの形態は時代とともに変わるだけでなく、戦争などで一気に変わることも、わたしたちはいま目の前にしている。

平日の午後、平和な団地。だが、ひっそりとして人影はほとんどない。時どき車が通り、ときどき自転車に乗った高齢者がよろめきながら過ぎ去り、カートにつかまった買い物帰りとみられる老女が、ゆっくりアパートの入り口に向かっていく。

関東の冬は陽ざしがある。緑の木の葉がきらきらと輝いている。暖かい室内から外を見ているとまるで春のようだ。けれど、子どもの声は聞こえない。人々の話し声も聞こえない。平和な、ありふれた風景。

何でも忘れる

ただいま、iPad でブログを書くのに、苦労している。何を書くか、どころではない。同じ iPad 上にある、この画像を載せるやり方さえ忘れている。忘れるのが都合のいいのは政治家くらいのもので、大抵の人は困ることになる。操作方法ではなく、考え方自体が分からなくなるのだー。それでも何とかここまで辿りつけたのは、それなりに”勘”が働くようになってきた、ということだろうか。ちょっとだけ、リテラシーができてきたのかな?

新作を幾つか構想中。最近、全然制作していないので、こっちの勘はすっかり錆びついてしまった。やっぱり、制作も毎日続けないと効率も悪いし、アイデアも浮かばなくなるし、技術力も落ちる一方。あらゆることが、全てそうだ。けれど、毎日すべてのことをやるなど、不可能な事も事実。

じゃあ、どうするの?というところで振り出しに戻る。さて、この絵はこれからどうなるのか、今のところはわたしにも分からない。

桜を描く

東武動物公園の桜

桜を描こうと思う。場所は東武動物公園の園内。今はまだ、桜の時期ではないから写真をもとにする。

メリーゴーランドを撮った写真は他にもあるはずだが、保存の仕方が悪く、探し出せない。パソコンの仕組みをちゃんと理解していないと、こういう時に困る。でも、とりあえずこれで考えていく。

パッと見て、主題である「桜」が小さくて、どこにあるか探すほど。反対に池と空が広く、このまま描けば「遊園地の池」という題名の絵になってしまう。桜は淡い色だから、クローズアップするか、面積を増やさないと見えてこない。正面真ん中の岸辺は、そういう意味で全面的にカットしてみる。画面右半分が、絵になる部分かなと思う。

右半分は、桜とメリーゴーランドとの明暗の差が大きく、遠近も極端で、否応なく目立ちます。ここを描けば楽に一枚の絵ができますよね(芸術作品とは言いません)。ただ、他が割と単純な木だけなのに対して、複雑な構造物で、手すりやそのカーブなど、ある程度の正確性を表現しなければなりません。そういうのが苦手な人にとっては、ちょっとチャレンジングなモチーフになりますが、腰を据えて、時間をかけて下描きをすればクリアできます。最後に、暗い水面に花筏でも浮かべられれば、サービス満点じゃないでしょうか。