「大哺乳類展3」を観て

哺乳類の大行進です
レプリカとは違う迫力、ち密さは本物ならでは
修学旅行生たちも大勢見に来ていた

昨日(6/6)上野の国立科学博物館で「大哺乳類展3」を観てきました。展示が凄~いイ!圧倒されるような量と密度。とても一日では見切れませんが、体力的な問題もあり、2時間ほどで切り上げ、買ってきた図録(2500円)を見ています。図録の写真もきれいで内容も最新、値段分以上はあると思います。

修学旅行生たちも大勢見ていました。わたし自身がそうだったけれど、ド田舎の中学生なんかでは、こういう展覧会があること自体、想像できないんですよね。だから、いろいろ不要論のある「修学旅行」も、地域差を考慮すれば必ずしも無意味とも言えない気はしますね。

実は、昨日は(やや義理絡みですが)東京都美術館と国立新美術館での3つの美術展を回って帰る予定でした。帰宅に便利な路線を考えて、先に上野の都美術館へ。デ・キリコ展の出口に「大哺乳類展」のチラシ。開催することは前から知っていましたが、あまりに前すぎてもう忘れていたんです。日にちを見ると今月16日まで。なんてラッキー(^-^)な日、というわけで観ることができました。たまには外へ出かけてみるもんですね。結局この日は5つの展覧会を観、13000歩も歩いてしまいました。

最初に書きましたが、展示内容がすごい。標本の数だけでもケタ違い。間違いなく数年に一度しか企画できないレベルです。館内は子供連れ多いですが、中年以上の自然科学ファンも、カメラ抱えて大勢来ていました。写真OKなので、話のタネに出かけてみてはどうでしょうか。自然科学にそれほど興味ない人にもオススメです。わたしも、先日100数十年ぶりに特定されたことで話題の、ニホンオオカミを写してきましたよ(^○^) 。16日で終わりですから急いでね。

人を愉しませるひと

「飛行機雲」 水彩 2024.06.05

ひとを愉しませるというのは、やはり稀有な才能なんだなーとつくづく思います。YouTubeに意識的にビデオをアップするようになって一年半、あしかけ2年半ほどになりますが、その制作過程を体験することで、そういうことが少しは見えるようになりました。

YouTube以外のSNSはあまり知らないのでYouTubeを例にしますが、人を愉しませるには本人自身の魅力(才能)、たとえば笑顔が可愛い、カッコイイ、特別な知識経験、趣味・技術などもちろん何かは必要ですが、これは突出していなくてもなんとか大丈夫なようです。カメラなど撮影機材への知識・興味、撮影技術も、これもあるに越したことはない(本にはそう書いてある)そうです。面白いものを見つける企画力、これは大事ですが、まあ、やりながら勉強する(とこれも本には書いてある)。だから、誰にでもできます(とやはり書いてある)。 “まあ、なんとか” が少しずつずれていそうですが、まあたぶん、そうなんでしょう。

でも、企画を実際にプロデュースする行動力(マネジメント)が断然違うと思います。それに集中させる時間、体力、経済力?それがわたしのようにちゃらんぽらんに作っている人とはレベルが全然違うのです。ビデオに現れないスタッフがいるチャンネルも少なくないようですが、それらの人をまとめる人間力?も必要ですね。とにかく頭の回転が良くないと続けていくことができないのは確かです。

美味しいスイーツを食べてニッコリするだけで10万回視聴とか、生活には何の役に持たなない話をカメラの前で喋るだけで数十万回とか、よく言われています。特別な中身はないだけに、逆にそれだけで多くの人を魅了し、視聴させてしまうなんて、なんて凄い人たちなんだろうと思います。
 でもその前に、どこのスィーツがトレンドだとか、どんな話が視聴者の心を引き付けるのか、そのリサーチ力がすごくないですか?そしていかにも美味しそうに、ではなく実際に楽しめる感性、アナウンサーがニュースを読むようにではなく、実際に自分に起こったこととして、言語化し、人前で楽しく魅力的に話せる力等々。とてもとても「誰にでもできる」ことではありません。
 人はたぶん誰でも、可能ならば自分自身だけでなく、他の人をも愉しませたい欲求があるんじゃないでしょうか。でも現実として、自分自身でさえ毎日楽しく過ごすことが難しいですよね。それなのに、他人を愉しませてくれるって、すごいことですよね。
 

絵を描くひとびと

「デンドロビウム」 水彩

6月1日、埼玉県浦和市にある、県立近代美術館で第72回埼玉県展を見てきた。土曜日だったこともあり、出品者も含め、案外大勢の人が見に来ていた。学校帰りの高校生(たぶん出品者だ)や多くの高齢者が目立った半面、20代~50代くらいの人はとても少ない。それがたぶん今の社会状況を示しているんでしょう。

審査にかかる出品数は毎年1000点を超える。かつては1500点を軽く超え、入選率も3割ちょっとしかなかった。いろいろ工夫をして(良かったかどうかは判断が分かれよう)、入選率は若干緩くなったが、それでも半分以上は選外になる。その中で受賞者になれるのは、たった16人だけ。さらにその上の無鑑査(出品すれば必ず陳列されるという権利)になるには、原則3回受賞しなければならないというルールがある。審査員がほぼ全員入れ替わる現在のシステムの中で、それは厳しすぎるのではないか、という話もちらほら出ているらしい。

会場で何人か知り合いの人と会い、何人かが故人になったことを知った。出品をつづけている人の作品を見ても、すっかりかつての面影のない作品もある(わたしもその一人かも)。でも、それはたくさんの作品群の中で見るから。個人の流れの中でじっくり見れば、きっとそれなりの存在価値を持って制作されているのだと思う。
 高校生たちの出品はあっけらかんとしている(ように見える)が、入選した作品を見るとモヤモヤした傷つきやすさのようなものを感じる。中には驚くような技量を見せる人もいるが、多くは画面を埋めるだけで精一杯。勉強もあるのだから、それで十分立派だ。部活の先生の指導もあるのか、あまり破綻がないのが、かえって残念と言えば残念な感じ。

入選、受賞率だけ見ると確かに厳しい数字だが、そこに若い(あるいは現役バリバリの)精鋭たちが集まって、過熱しているかといえば、それはない。そういう人たちはもっと厳しい別の世界を求め、作っている。そういう意味では、県展は現代と同時代進行しながら、過去を重くまとった別ワールドになりつつあるのかな。不自由な脚を引きずりながら、身の丈ほどもある作品を、子どもや孫の手を借りて出品する人たちを見ていると、それでもここに大事な世界があることを知る。