時々自信をつける

今日も1枚描けた

皆さんこんにちは。このクソ暑い夏も、台風のニュースを聞く頃になれば、そろそろ終わりだな、と心なしか口角が上がってくる。

年とともに、誰しもいろんなことに自信を失ってくる。体力、記憶力、想像力などなど。「老人力」なんてベストセラー?の本が出たりするけど、まあ、要するに「がっかりするのもほどほどにね」というほどのものだろう。高齢になっても自信満々というのは、バカかロクでもない奴と相場は決まっている。

けれど、時々自信を回復したり、自信をつけたりするのは必要だ。落ち込み過ぎて自殺などしても、誰も喜ばぬ(と、思っておこう)。自信も、不信も、過信も一言で言えば、自分自身の「思いこみ」に近い。隣を歩いている人よりちょっと早かったりすると、「まだ脚は衰えていない」なんて喜んで自信を回復する。その人が、単に他の人より遅いだけでも、勝手に自信が回復してしまう。そんな便利な頭が必要だ。

あらゆる意味で自信が全くない人、というのはこの世に存在しないと思うけれど、自覚された自信は、時に爆発的な力を発揮することがあるのは、スポーツなどでは特によく言われること。目標がどこにあるかで自信の持ち方も変わるのも当然だ。「必ず優勝できる自信がない」などというのは、おそらく他人にはに想像もできないプレッシャーが言わせる言葉だと想像するが、不幸な方向性をもったあり方のような気がする。「このぶんなら、明日も何とかやっていけそうだ」くらいの自信を、時どきはつけようぜ。もっとも、これが自信でなく「希望」だと、ちょっと悲しくなるが。

Twip,twip. We are の夏

緑のざくろのためのエスキース

Twip,twip. We are. どんな意味ですか?実はこれ、英語じゃありません。わたしの部屋の窓の下で啼く、蝉の声です。一階の窓の下、つまり花壇の植え込みの中。だからてっきり虫の声だと思っていた。あー、もう秋だなーなんて。

そうしたら散歩道、今度は頭の上から聞こえてくる。あれっ?同じ声じゃない?見あげれば銀杏の木にとまっている、蝉さんじゃあありませんか。異名オーシンチョコともいう、それはヒグラシ?わたしのようなその日暮らしより、もっと短い人生、ならぬ蝉生を生きる蝉なんです。その啼き声がTwip,twip. We are.とわたしには聞こえてしまうんです。

小中学生の夏休みはどうやら終わったらしいが、わたしの夏休みはもう少し続く。今年の夏は例年に比べると、イイコト、悪いこと、結構大きなアップダウンがあった(まだ終わってないけど)。イイコトのうち、YouTube絡みでひとついうと、チャンネル登録者が1000人を越えたことはすでにお知らせしてしまいました(隠しておけず)が、夏休み中のチャンネルの視聴時間が1000時間を超えたこと。月1000時間は半年前は想像もしないほど遠い目標でした。

長く続けることで得られることもあり、切り替えができずに失うものもある。何が良くて、何が悪いのかは、その時その場では判断できないことだらけ。残された時間はどんどん短くなっていく、なんて考えるとじりじりと心が灼けてくるが、宇宙や自然に目を向ければ、偉くなろうが、金持ちになろうが、人の一生など虫けら同然にも見える。長い地下生活から地上に出て、2週間だけの残された時間を蝉はどう感じているんだろうか。Twip,twip. We are. 明日は明日の風が吹く。

「いちじくを描く」をアップロード

8/24 18:00 アップロードしました

透明水彩-「細部を考える」―いちじく、を前回の「桃」から2週間。「青いカモメ展」からでも9日かかって、やっと。1週間を目標に頑張りましたが、2日遅れ。まだまだスピードも足りません。

最近、再生AIで音声を作っているYouTubeをかなり見るようになった。もう半分くらいはそうなっているのかもしれません。え?というような言い方は時々あるが、それは作り手の手抜きによるもので、ちゃんと作ればもうほとんど人間と聞き分けができないといいます。メモを数行作り、それでAIに原稿を作らせ、そのままAIに読ませる。男声、女声はもちろん声の質、などかなりカスタマイズもできるらしい。

さらにすごいのは、ビデオを丸投げすれば、ビデオ編集までしてくれるのだそう。大事なのは的確な指示の仕方。指示の仕方を勉強する方が、ビデオ編集そのものを練習するより数倍意味がありそうです。「まだまだスピードも足りません」なんて言ってる場合じゃないんですね。そういう感覚、思考回路そのものが時代遅れだっていうことですよ。睡眠を犠牲にしてまでやる内容、その方向が間違っている。問題はそれが出来るかどうか。やるかやらないかはもう過ぎてしまってます。

ロボットの進化も目覚ましい、とか言うレベルじゃないようです。人工知能とか、わたしなどが聞き知っている「昔の」人工知能とは隔世の趣です。人間が「教える」感覚が以前はまだあったけど、現在の人工知能は完全にゼロから学習可能になり、ロボット自ら、それも人間なら北京原人あたりから現在までの、とまではいわないが、軽く○○万世代という脳の進化を数時間で身につけられるというんです。開発者ですら、「今このロボットが何を感じ、何を考えているのか分からない」というんですから恐ろしい。映像でも見たけれど、希望の100倍くらい不安になった。パンドラの箱はもうとっくに開いてしまった。