信なくば立たず

        「栗」   水彩・色鉛筆

石破茂氏が自民党の新総裁になった。衆議院では自民党が単独過半数を占めているから、新内閣総理大臣ということになる(今日の臨時国会で正式に選出される予定)。地方の多くの自民党員だけでなく一般の国民も、これまでの彼の言動から、「自民党はちょっとは変わるかも」と一瞬思ったに違いない。

けれど、文字通り「一瞬」に過ぎなかった。まったくすごいことに、新総裁に当選するやその言動を180度掌を返して見せたのには、驚きを越して呆れる以外にない。就任前日での衆議院解散、総選挙の宣言である。さすがは「自民党のための自民党議員による」自民党の総裁だ、と感嘆すべきなんだろうか。

国民も、当の自民党議員でさえ少なからぬ人数が「まさか」らしい。つい二、三日前まで「新政権即解散」は「無い」、「選挙の前には国民の前に、しっかりと判断材料を提供しなければならない。たとえば予算委員会」と具体的に論戦の場まで主張して総裁選を戦っていたのに、当選した途端に「異例ではあるが、おかしくはない」ときた。
 同じく総裁選を戦っていた小泉進次郎氏が衆議院解散に触れた時、わざわざ「総理にもなっていないものが解散に触れるべきではない」と釘を刺したその当人が、「就任前に」突然解散日程を発表したのだから、皆のけぞってしまったのだった。

個人的には、自民党の中ではまともな方だと思っていたが、完全に信用を失った。彼の常套句「信なくば立たず」の、「信」とは何だったのだろう。総裁選でのにわか助っ人議員たちだけに対する「信」だった、ということがこれで明らかになってしまった。野党の協力体制が整わないうちの選挙は、たぶん優位に進むだろう(いや、それも判らなくなった)。早晩「信がないのだから立てない」という持論を逆説的に立証することになるに違いない。

時間を所有する

     「棚の静物」 水彩

世界は目まぐるしく動いている。あるものは更に進歩し、けれど、あるものは退化もしくは逆行する。世界はそうやっていろんな方向へ動いている。だから、同じところにとどまっているつもりでも、相対的にその動きの中にいることになる。

でも、それは現在の地球での話。時間も空間も、ある意味では人類の発明品だ。この地球もやがて物理的に崩壊して宇宙の塵となり、どこかに新しい生命が生まれれば、そこからまた「新しい」時間と空間が生まれる「可能性」がある。天文学者によれば、現在の人類と同じような進化を遂げる確率は、ほぼゼロに近いらしいけれど。

つまり、わたしたち、いや、いま地球上にあるすべての生命が「奇跡」の中に在ると言っても過言ではない。けれど、その奇跡の中を見ると、矛盾だらけ。完ぺきなものなど何一つないことは顕かだ。それなのに、さらにその一部に過ぎない「人類」だけが、ひとつの正解を巡って、自らの正当性性を主張して殺し合っている。それ自体が矛盾であることに気づこうとしない。

人類だけが時間を「所有」できる。「わたしの時間」。それがいかなる奇跡であるか、死ぬ前にもういちど考えてみるのは悪いことではない、と思う。たとえそれがちょっと辛くても。「棚の静物」。何も描いてはいないが、そこにわたしの時間が残っている。

蟹の刺身

            「ガザミ(ワタリガニ)」 水彩

秋らしい、けれど、ちょっと変わったものを描いてみたい、と言ったら妻が渡り蟹を買ってきた。よく味噌汁とか鍋の出汁に使われる、安物の蟹である。身があまりない種類なので、それくらいしか使い道がないのだろう。

スケッチの材料としては「味噌汁の出汁」よりずっと価値があるが、主婦たちはスーパーで見慣れているせいか、ほとんど価値観を感じないらしい。高価で、ちょっと手が出ない松葉ガニとか、毛ガニなら、描いたものでも高級感があるのかもしれない。

なんでもそうなのだが、見慣れているからと言って、スイスイ描けるものではない。毎日自分の顔を鏡で見ていても、描けと言われてサッと自画像を描けるものではなかろう。見るのと描くのでは大違い。色もかたちもなかなかにシャープで、描きごたえのある素材なのだ。

味も馬鹿にしていたが、あるとき弟が、津軽海峡のワタリガニの刺身を食べた、と言ったことがある。ものすごくオイシイ、のだそうだ。彼は下北半島に住んでいて、海産物に関しては鮮度といい、種類といい、飛び切り上質のものに囲まれている。彼も、それまではワタリガニなど小ばかにしていたようだったが、食べてみて驚いたという。そもそも刺身にできる量の身があるのか、と訊いたら、やはり二回りほど大きいという。それなら、あり得るかも。以来、わたしの耳から離れない。