子ども本来の輝き

ルピナス 2

幼稚園児が「安倍総理頑張って。◯◯法案通過嬉しい」とか、「教育勅語」を毎朝連呼する幼稚園。今度は小学校ならぬ「小学院」を作るという。正式名称は「瑞穂の国記念小学院」。元自民党の国会議員などが「日本の朗報」だなどと賛辞を贈っている。

恐ろしい時代に戻りつつある、と危惧する。子どもにとって意味不明な語に違いないが、聞く大人には意味があるどころではない。幼児教育を「刷り込み」教育に「すり替え」ようとしている。「国家の為の一国民」を育てようというもので、子ども本来の将来に資するという、教育基本法の理念そのものさえすり替えようとしている。危険な学校だ。

 

 

 

 

ルピナス(輝き)

ルピナス (E’tude 1)

今日も穏やかな一日(室内にいると)。風もなく、ストーブも不要、どころか靴下さえ履かない。全く、今も雪の中で暮らす人々には申し訳ない限り。この住み良い環境を活かさねばバチが当たりそうだ。

なのに頭痛。既にバチが当たったらしい。因果応報、何をやったか知れないが、何をやらなかったかは知っている。つまりは何もやらなかったということ。

屁理屈だが、何もやらないことにも意味はある。積極的不為。積極姿勢が◯、消極性は×。明るい性格は◯で、暗いのは×。当然美人は◯で、反対は×か。問題は定義も基準も不明なことだが、世の中は「そんな屁理屈ばっかり言ってるから、性格が暗くなり、何をやってもうまくいかなくなる」。

やっと本音が出た。やはり、処世術。顔を整形し、能天気に明るく、何にでも積極的に手を出し、失敗は朗らかに人のせいにして、責任などという重く暗いところから逃れる。それが「輝く」ってことかな。

家庭科の先生

男子厨房に立ち入らず。誰言ふとも知らず、世間にてはただ男の厨房仕事の手伝ひを厭へる分別ならん。我が家にては盛んに「男子、繁く厨房に立ち入りたまへ、helpしたまえ」と呼ばわれるも、男子何故かいずれも耳遠く、聞こえぬが難なり。

我が妻、「料理、洗濯、掃除」の先生也。「先生」の意、「不如意現実」。往時「唐変木」先生の遠隔子孫なり。先生その血濃厚なるを家人驚嘆す。是ダーウィン卿定理の奇跡の証左とならん。

以下に先生の偈、その一例を挙ぐ。料理:「料理は簡単を以って旨とすべし」簡単するに、お惣菜買えば佳し。是非もなし。洗濯:「洗濯の要は清潔にあり」。使い捨てに勝る清潔なし。先生曰く、「干せば花粉など浴び」ると言ひ、「以ての外」。至極ご尤も。掃除:先ず以って、ゴミを出さぬが要なり。塵芥の類、自然循環にて雲散すべし。人亦自然の一部なり。塵芥にて苦しむなどまさに自業自得とも心得、先ずは心療科にて「清潔病」なる病の心療を施すが肝心。ビニール袋など古来在らぬものにつきては、人知の及ぶところに在らず、勝手次第とのたまう。ただ神のみぞその行方知るところなり。