「禁止」の文化、「可能」の文化

ビデオ「顔の中の緑」のひとコマ(2024年11月23日、公開予定)

禁止の文化って、もちろん「○○してはいけない」って文化。可能の文化って、「○○も出来ますよ、どうぞ」ってことなんだけど、それは国とかの単位では比較できないですよね。どこの国だって、○○してはいけないというマナーとかルールがあるし、○○はオッケーですよ、という部分もある。宗教も大きく絡んでくるから、そこを良いとか悪いとか一概に言うことはできないはずだし、そんな大それた批評などする気もありません。

わたしが感じるのは、「禁止の文化」と「可能の文化」の入り乱れ方が変わってきたんだな、ということ。普通に考えたら、誰だって「禁止の・・」より「可能の・・」の方が良さそうだって思うじゃないですか(?)。

常識知らずで申し訳ないけど、就職面談で、女子の場合、「すっぴんは社会人としてマナー違反」として、履歴書の写真だけでアウトと評価する人事担当者がかなり多い(という調査結果があるらしい)と最近のニュースで知った(調査内容の真偽に関しては責任持ちません)。パンプス不可、ズックなど身体的理由があっても応募者は自己規制する、とは以前にも聞いたことがある。「女子、可愛そうって」、わたしなど思ってしまう。これは、時代が現代に近づくにつれて「禁止事項」が増えてきている事例だと思う。当然、男子には男子なりのそれがあると想像される。

一方で、面接にわざわざ「普段着でお越しください」というメッセージを送る会社もあれば、希望すれば「オンラインのみで面接」という会社もある、と聞く。これは「可能の文化」系ですかね?「禁止」されると蕁麻疹が出るわたしなどは、可能な限り、「可能の文化」の中で生きていきたいし、それをできるだけ支えたいとも思っている。

ポインセチアのスケッチ

ポインセチアのスケッチ

日なたの八重のポインセチア。かたちがはっきりしているので、描きやすい花と思われそうだが、意外に難しい。日に当たった色は輝き、これを油絵はともかく、水彩で再現するのは容易ではない。だから、再現ではなく、「印象を記憶する」スケッチになる。葉脈も深くて影が鋭く、かたちもいい加減にごまかせない。

暮れ近くになると、花屋さんの店頭にずらりと並び、これをスケッチする人もきっと少なくない。

ポインセチアのスケッチ

ポインセチアのスケッチ

ここ1年ほどスケッチばかりで過ごしてきた。たまには本画を描かないといけないと思いつつ。

サイズの大きな絵を描くと、発想が違ってくる。それは半分は脳の方から来るものだが、半分は身体の方からも来る。サイズが大きいと、筆のサイズが違う。一本の線の長さが違う。そこにかける腕の力が違う。その腕を動かす身体全体の姿勢や動きが違う。そしてそれを見る。―それが発想そのものに関わってくる。