今日は少し強気


Apple by a book 2021 mixed media

これじゃダメかなと気弱になったりしながら、この作品は結局これで終了とした。一昨日に比べ、細かいところで何となく納得がいくように調節できた。けれどいちばん変わったのは気分。今日は幾分か強気のところがあるのでOKできた。

完全に満足ということはないが、この作品に関する限り、これ以上加筆しても、今以上良くはならないだろう。さらに加筆するより、新しく描いた方がこういう場合は間違いない。9月1日掲載の制作中の絵と比べても、良くなったかどうかは見る人次第。

青の縁取りは、AppleもBookも同じ色にしてある。そのため、この2つはおなじ輪郭で囲まれた一つの平面になっている。テーブル(らしきもの)のエッジ(らしきもの)も同じ色。本の輪郭とテーブルの縁が同じ色なので遠近感はきわめて曖昧=平面的になった。小さく小分けされた各輪郭線内部の色もなるべく平坦に塗ってある、ように見えるが、こまかいところで単純な塗りではなかったり、明暗で立体感を作ったりして、若干混乱することを想定して描いている。それが「良い試み」かどうかは、今の段階では判定できない。

パラリンピアンはモンスター

イチジク  ペン・モノクロ水彩

悪い意味で言うのではない。「凄すぎる」という意味での「モンスター」である。細かい内容はほとんど知らないが、パラリンピックの競技には障害の程度に応じた細かい規定があるらしいことは分った。団体競技では障害の違いを混ぜて(適切な言い方ではないと感じるが)、一つの競技から不利な障害者(これも適切な言い方とは思えないが)を排除しない配慮がなされているようである。

けれど、さらに重度の障害者、たとえば寝たきりの人がストレッチャーに乗って参加するなんてことはできない(たぶん)。五体満足であっても心臓に重い障害があるような内部障害の人もたぶん無理。そしてそのような人は決して少なくないと思われる。そのような障害者から見れば走れること、泳げること自体凄いことではないだろうか。車いすテニスや陸上走り幅跳びなど見ると、健常者のアスリートだって彼らに勝てる人はそんなに多くないのでは?と思うほどのハイレベルだ。

ましてメダリストは夢のまた夢の世界の住人。その彼らにして「銀メダル」「銅メダル」が「残念」と言う。「次は絶対金メダル」。ここまでくると、正直言ってわたしは共感できなくなる。「金メダルをとればパラスポーツへの注目が集まり、すべての障害者への理解が深まる」と選手も多くの関係者も言うけれど、そしてそれが嘘だとも言えないけれど、それが銅や銀でなく、なぜ「金メダル」でなければならないのかの説明にはなっていない。「政権与党でなければ自分の政策を実現することはできない」「そのためには『与党』で『当選』するしかない」と、当選本位の運動をする人たちの論理と奇妙に似ていると感じるのはわたしだけだろうか。

メダルと賞を同一視する人もいる。わたしは全然違うと考えている。(金)メダルは「(第1位の)証明」だが、賞はどんな場合でも「(あなたは更に発展できますから)頑張ってください」という奨励の意味が強く、第何位という証明はしないのである。オリンピックでもパラリンピックでも、「メダル」に替えて「賞」にすればよいと思う。そうすれば、「国別のメダル獲得数」なんて、くだらないどころか有害でさえある報道もなくなるだろう。

失敗目前

Apple by a book (継続中)

バリエーション

今日は昨日と一転して、やることなすことが逆目。テンペラメディウムを作っても、30分もしないうちにひっくり返し、半分もこぼしてしまった。他にも何となく無駄な動きが多かった。こんな日はさっと切り上げて他のことをした方がいいのだが、もう少し先で何とかなりそうな気がして筆を擱くことができない。切り替えの下手なタイプ。

上は昨日の続き。滑落しそうにふらふらしながら痩せ尾根の稜線を歩いている感じがする。右も左も谷底へ真っ逆さまで、まっすぐは進めない。うまく切り抜けられるかどうか、半分は運、半分は冷静な判断。今のところ、一歩引いて、いったん同系の色でまとめるという経験重視でいくことにしたらしい。

同時進行している3点のバリエーション。右の絵では赤、黄を効果的に使うつもりだったが、説明臭さが鼻についてきたのだった。バリエーションがあると相互に比較しながら進んでいけるのがいい。

失敗を怖がらないこと。絵では谷底へ落ちても死ぬことはない。時間はもったいないが、絵を描くということはそういうことなのだと、自分に言い聞かせる。