iPadを買った頃

Gaban-ブラックペパーを描く

一年以上前のCGスケッチをYouTubeにアップしてみた。iPadを買った頃、買ったはいいが実際、「何にどう効くのか」よくわからなかったので、とりあえずスケッチブック代わりに使って、まず慣れることを目的に10本くらい作ったビデオのひとつ。

さすがに音楽の音量なども全然考えていないし、ナレーションなんて思いつきもしなかった(内臓マイクはあったけど)頃なので、「ビデオを作ってみました」感だけしかない。4分しかないが、スケッチの制作には3日がかりで8~9時間くらいかかったと記憶している。不慣れな編集にもそれくらいの時間がかかったかもしれない。

それでも、今見ると恥ずかしいなかにも、なんとなく初々しい感じがする(たぶん本人だけ)。無我夢中の時(今もだが)を思い出す。技術的なことだけで、他はまったく省みる余裕はなかったが、最近は他の人のYouTubeも見慣れてきたせいか、作り手の気持やノリ具合のようなものをなんとなく感じられるようになってきたような気がする。ベテラン視聴者というのは、もっと厳しい視線で見ているんだろうな、とも想像する。

将棋の藤井聡太さん。(対戦相手だけでなく)誰に対しても怒りの感情を持ったことはないそうだ。怒りを自分にしまい込むのでもなく、それを「なぜこの手を思いつかなかったのか」という勉強不足の方に向けるのだそうだ。偉いものですねえ、あの若さで人間が出来ているよ。24時間フルに将棋に浸かっているんだよね。超・遅ればせながら、わたしも少しは見習いたい。

テンペラ画の制作を動画にするつもり

テンペラ画の制作(2日目終了時)


小さな絵を、100号と同じアイデア、同じタイトルで描いてみる。

大きい絵をそのまま縮小するのは構図上も技術上も良くない。小さいサイズの絵には、そのサイズだけが持つメリットを発揮してもらわないといけない。とりあえず、こんな調子で始めてみた。これから先へ進めながら、それなりに改変してみようと思う。

描きながら動画に撮影している。なので、なかなか進まないだけでなく、誰か別の人がかいているような気分が半分くらいある。今のところはとりあえず、順調。撮影は蛍光灯を消し忘れたり、相変わらずのヘボー式。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる?

動画製作中の1カット。こういう練習も無駄なのだろうか

下手くそな猟師でも、何度も狩りを繰り返せば、そのうちまぐれでもまともな獲物にありつくという、「経験」を勧める「たとえ」。

そうなんですよねー。絵もたくさん描いているうちには「オッ!」というのができることがある。「けれど、それはまぐれ」。いやいや、そう考えてはいけません。声を大にして言いますが、「まぐれは実力!!!」なんです。

 アメリカの野球で大活躍の大谷選手。2022シーズンでは43本のホームランを打って、一時はホームラン・キングをつかめるかというところにいました。今年はどうでしょうね。来年、再来年はどうでしょうか。仮に今シーズン、40本行かなかったとしても、わたしは彼の実力が落ちたとは全く思いません。半分以下の20本だとしても評価は変わりません。「打てた」ことが凄いんです。それを毎年なんて、期待する方が無理なんです。野球だけ例に出して恐縮ですが、プロ野球で4割打てるバッターはいません。2割以下でもプロはプロです。
 何を言いたいんだっけ?―そうそう、まずは数撃て、経験を積め、ってことですよね。そう、経験しか自分を伸ばしてくれるものはないんですよね。知識もいったん「体験化」しないと、絵に描いた餅のまま。もっとも、「200枚描け」と言ったら、ずらずらと200枚描いて自分を固定してしまい、あとは何ひとつ聞き入れないという人がいました。わたしにとっても想像外で、おおいに反省しました。ライオンのハンティングも9割以上失敗するそうです。わたしたちは失敗しても「今日のご飯」のある「人間」です。まずは数撃っていきましょう。

ところが、ここでもとりあげた、最近話題のチャットGPTという言語処理機能の発展が急加速して、「経験など役に立たないのではないか」どころか、まったくの初心者が「失敗無しに」ベテラン以上の成果をあげることが常識化し始めた感がある。「数撃ちゃあたる」と言ったばかりなのに、こちらは「一発必中」。それも数秒で。「コツコツと努力」などと言う言葉がアホらしく感じられてしまう。なんだか「人生の半分以上が数秒の価値しかなかった」と言われているような気がして、まことに辛いものがある。表題に?をつけざるを得ないゆえんである。