クジラのようなものを喰う-終了

「凛々しい」と口走った人がいた

外のまぶしい明るさのせいで、母屋の中は暗く感じられるが、周りはぐるっとガラス窓で、外の景色はよく見える。

中には誰もいない。一つの窓が開いていて、レースのカーテンが揺れている。上にいくつかの額がかかっていて、そのうちの一枚があの子どもたちが写っている写真のようだ。しかも、そこには父親、母親らしき人たちも。

なるほど…。この写真の中に、あの二人の女性を探せばいいのか。でも、それ以外の人はどこに?

近くの小さなテーブルの上に、白い、やや大きめのお皿があり、その上に綺麗な模様のハンカチがかけてあるのに気づいた。

ハンカチをこっそり持ち上げると、黒い蒸しパンがちらり。「クジラの…」かと思ったが、本当の蒸しパンだ。と思っているうちに、非常識にも、誰の許可もなしに既に半分も食べ尽くしている。

「それはマズイでしょ」と、内心「夢の演出家」に抗議する私の口の周りに、まるで私が悪行した証拠のように、やたらにベトベトとそのパンがくっつくのは何故なのだ!「おい、演出家!それって、変だろ?」

あとで考えると(夢の中の「あとで」っていつなんだ?)、それはどうやら「使命完遂」のご褒美であったらしいのだが、「使命」そのものの意味は特に無いようだった。

 

「クジラのようなもの」を喰う-3

ついでに子どもたちのことをまとめて言うと、この子たちはどうもひとつの血縁関係にあるようだ。よく見る、古い、既に茶色がかった白黒の「家族写真」に似ている。子どもの数が今よりずっと多かった昔の、どこかの家族の。その家族が、私と何か関わりがあるのか、今のところ自分にも判らない。

彼らはいつも同じ順番で、そう、まるで一枚の写真のように身動きもせずに、私に「使命」を言い渡したのだった(らしい)。

本題に戻る。悪戦苦闘したあげく、口を泥だらけにしながら、ついに私は一片の「クジラの…」を齧りとり、何とか強引に呑み込んだ。あとは元あったようにそこに放り出し、使命の完遂を告げるべく、口に泥をつけたまま母屋に向かって歩き出した。

もう少しだけ続きそうです。

 

「クジラのようなもの」を喰う-2

今日もとりあえず練習

「…のようなモノ」はちょうど、少し大きめの魚の切り身のようなかたちで、色はほぼ黒。そう、房総などで売っている「クジラの…」何とかいう、あれに近いが、中心部はもう少し厚い。一見ごく素朴な蒸しパンのようで、簡単に喰いちぎれそうに見えたが。

他にもキノコを細く切ったようなものが入っているが、ナメクジと区別がつかず、こっそり捨てる。何しろそのお弁当は庭の隅に、いつから置いて(捨てられて?)あるのか判らないほどで、半分 は泥が入り込んでいるのだ。

いくら使命とはいえ、(この使命を下したのは、十数人の子供たちで、幼稚園児から大学生位までと年齢も男女も混じっている。その子たちの関係は判らない。みな知らない子ばかりだ)腹痛なんかで死んではたまらないから、こっそり捨てたのはやむを得ない。だいいち、「クジラの…」を食えというのが使命であって、キノコではないし。

この夢明日につづく。長くなりそうだが、ご勘弁。