師走の銀座風景

「ポインセチア」試作2 このレベルじゃ、まだ全然ダメ
師走の銀座界隈

先日(12/16)、国画会の安原容子さんの個展などを見に銀座へ行ってきた。最終日だったが、いずれの個展もひっきりなしに来場する人がいて、絵を見に来る人は減ってないんだな、といささか安堵した。

歩行者天国も久しぶり。中国語も多く耳に入り、かの国での観光がオープンになったことを肌で感じた。路上の思わぬところに座り込んで、めいめいスマホをいじくっている家族。まだ微妙な違和感はあるが、ひところの中国人観光客レベルからみると、ずいぶん日本人感覚に近くなったと感じる。

ホコ天をあるいていると、ヨーロッパ、アメリカ、南米系、中東系、アフリカ系の顔が行きかう。ワイシャツだけで行ったのに、それでも汗をかいた。12月半ばで、この暑さはどうなっているんだろうか。Tシャツ一枚で歩いている人もいれば、その隣ではダウンを着こんだ人もいる。そんなホコ天から、各画廊へは90度ずつ、カクカクと曲がっていく。

長年苦しめられたポインセチアの、一つの攻略法が見つかり、今年は少しだけ肩の荷を下ろした(近々、それをYouTubeに乗せるよ)。大みそかまであと10日。元気な人の、元気な個展を見ると、来年の発表までの十数点の絵の構想と試作をしながら、もう一歩ポインセチアの攻略法を探す気力も湧いてくるよ。

ポインセチア‐冬晴れ

       「ポインセチア・冬晴れ」 水彩、Water Ford 紙 (粗目、コットン紙)

今日も夕方から、急いで一枚描いた。一昨日の絵のバリエーション。モチーフはまったく同じ。ただ、いつもより細い筆を使って、細かく描いています。

ここ2~3年、毎年ポインセチアを描いていても、一枚も納得いく感じがありませんでした。それでも前回と今回とで、この(ブログのような)方向なら、多少攻略法が見えてきた感じがします。

こういう “実写” 的な絵でも、実は多くの「作為・フィクション」があります。決して見えるままに描いているわけではないのです。「創作」ですから作為は当然ですが、具体的にはまず、対象物を「置く」ところから始まります。背景を作るのです。

この絵で?背景に団地があるとか、木があるとかはあまり重要ではないと考えていました。それよりは、晴れなのか曇りなのかのほうが大事だった(ムードですね)。それと関連させ(できるだけ描く手間を省きながら)、「窓枠」で背景に変化を作れないか。窓から奥の “寒色系の色” と手前の壁、ポインセチア、テーブルの“暖色系” とどう 接着させるかを考えていました。

ポインセチア・冬の日

「ポインセチア・冬の日」 水彩、ファブリアーノ紙

ポインセチアの連作(練習)中。前回ブログのモチーフを作品にしてみた。絵画教室の窓から見える風景だ。この静かな冬の日のずっと向こうに、砲声が響き、多くの人々が無駄死(と言っては過酷だが)ともいえる死を半ば強制され、残された家族や人々の怒りや悲しみが毎日積み重なっていくのを考えるのもつらい。こんな平穏が、なぜそんなにも難しいのだろうか。

昨日、久しぶりに知人の個展などのため銀座へ行ってきた。忘れかけていた歩行者天国を歩くと、冬とも思えないほど “暑かった” 。汗をかいてしまい、帰りに風邪をひくのではないかと心配になるほど。中国語も増えてきた、英語も多く聞こえてくる。平和だなあ、と思う。一方で、観光旅行など一生縁のない人々も数億人はいる現実。そんな中で絵を描き、発表すること。何をどう考えたらいいのか、分からなくなる。

この絵は思ったより簡単に描けた。白い窓枠と、窓の向こうの木の枝にマスキング。ポインセチアを描いたあとは、奥の風景から徐々に色を重ねるだけ。フロアの板の幅は “適当” 。窓の向こうのアパートをもう少し低く描けばよかったな、と思うくらいで、まあまあイメージどおりにできた。