鉛筆、「削って」ますか?

              「ブリキの鳥など」 黒、青、茶色のペン

各種文書の申請やアマゾンなどのネットショッピング等、文字は専らキーボードによるタイピング入力だけ(スマホならタイピングすら無い)とか、日常のことで鉛筆、ボールペンで文字を書くことがほぼなくなった、という人も多いのではないでしょうか。毎日日記を書くような人でも、いつのまにかペンからキーボードに替わったりしていないでしょうか。あなたは鉛筆を「削って」ますか?

幸い?かどうかは判らないが、わたしは絵を描く都合上、鉛筆もペンも日常的に使う。それでも、たとえば鉛筆の消費量は子どもの頃に比べたら1000分の1くらいに減っていると思う。

アイデアを考えるとき、モニターとキーボードでは用が果たせない。ペンや鉛筆の先と紙との接するところにしか、「掴めそうなアイデア」が浮かんでこないのだ。ペンタブレットもあり、それで制作中の作品の修正や、目先のアイデアを考えたりすることもある。でも、そこはなんだか “居心地が悪い” 。

単なる「慣れ」の問題ではなさそうだ。手や指から脳にフィードバックされてくる感覚とキーボードとモニターによる感覚とでは、これまでの経験とが行き会う脳内での場所が異なる、という感覚がある。時には同じような風景が見える場所だったりするが、時には全く違う風景が見えている、そんな感じ。ともかく、鉛筆やペンの先から伝わってくる微かな摩擦感が心地いい。

        「こどものかお習作」  ペン

顔をペンで描く練習を少し続けてみる。特に子どもの顔は柔らかいので、普段なら鉛筆で描こうとする。ペンのような硬い筆触は合わないと、避けがちだった。

自分勝手に思いこんだ “一種のタブー” だが、意外に自分を囲い込んでしまっていたかも知れない。サイズに関しても然りで、鉛筆やペンは小さな画面にしか適さないと思いこんでしまうと、ちょっと大きな画面にすぐ手が出なくなる。巨大画面に鉛筆だけで描く作家の作品を知っていてさえ、手をこまねいてしまう。小さなことが自分を囲い込んできたのなら、小さなことで、その囲いを破ることもできるかもしれない。

立冬

          「ミルクカップと小さな玉ねぎ」 ペン

立冬。暦の上では今日から「冬」。だけど先月末頃から何度か急に寒くなる日を繰り返したので、気分の上ではすでに冬。セーターも着ているし。11月にセーターを着るなんて数年前なら考えられなかったが、筋肉が無くなってきたぶん、熱源も失われたということ。もう少し筋トレをして筋肉つけなくちゃ。

一日のスタートは、夏も冬も、温めた一杯のミルクから始まる。飲みながらのスケッチで手をほぐす。冬の朝日を描きたいが、早起きは苦手。雪があれば夜明け前でも起きていけるんだけどな。雪が恋しいまま冬に入る。