アトリエの友

アンスリウムなど  f6 watercolor 2011/6/4

アトリエの友とは、アトリエの必需品のこと。画材以外の、たとえば制作の前に必ずお線香をあげる人がいれば、それのこと。私の師(彫刻家)はそうだった。もちろん蚊取り線香ではないよ。非常にいい香りの(白檀という香木を原料にしたもの)、長さ30センチはある線香をたて、自分への誓いをつぶやき、確認してから毎日の制作に入っていた。燃え尽きるまで2時間以上はかかったと思う。私も一時真似をして、それより1ランク下の線香を立ててから制作したことがある。とてもいい香りで確かに落ち着き、集中力が増すような気はしたが、お金が続かなかった。毎日1本となるとね。その頃は筆もほぼ毎日1本擦り切れ、年間300本の筆を消費していたから、そちらのお金が優先だったし。・・・今よりずっと頑張っていたなあと思いだすと、ちょっと悔しい。

今はデッキチェアがアトリエの友だ。最近は睡眠時間が滅茶苦茶になってしまい、夜・昼関係なく、いつ眠くなるかわからなくなってしまった。運転中に急激に眠くなり、ぶつかりそうになったことも何度か。夜も眠くなるから寝るというのでなく、寝ないとまずいから寝るという感じ。制作中突然眠くなる。ほんの少し時間を措くと、もう眠ることはできないので時を逃さず急いで眠る。折りたたみのデッキチェアとアイマスクが今は必需品。二か月前は考えもしなかったが。

S氏という画家がいる。顔だらけのユニークな画風で有名だが、この人のアトリエの真ん中には何故か「島」がある。床を海に見立てると、二段ほどの崖を経て上が平らな、二畳ほどの広さの台地状の島に見える。眠くなればすぐ横になるための設備だという。

ある美術雑誌に掲載された、この島に寝転んでいるS氏の写真を見て大笑いした。画家のアトリエとは想像もできない、まるで阿片窟(見たことはない。想像で)に横たわる中毒患者そのままの異様な感じの写真だった。お客とはこの2畳ばかりの島で向き合ってお茶を飲む。男同士ではあまり居心地の良くない島だった。  2011/6/4

5月の梅雨入りと台風

アンスリウムなど  F6 watercolor 2011

5月の梅雨入りは案外珍しいのだそうだ。大抵は6月8日前後というから、1週間は早いということか。でも、ここ数年の記憶では、「・・・日にさかのぼって梅雨入りと宣言しました」という発表が多く、「さかのぼってって言われてもなあ」、という思いがある。

今年は桜を見なかった(灯りのない夜桜を一瞬だけ見た)。見る気にもならなかった。弘前(青森県)在住の版画家から「今年の桜は見る人が少なく、寂しかった」とお便りを頂いて、そういえば弘前の桜も、もう40年も見ていない、と思い当った。大好きな白モクレンも見るとも見ないうちに終わってしまった。そこに5月の、最大勢力925hpaの台風2号がやってきた。

子どもの頃も風が大好きだった。停電し、ろうそくを灯す台風の夜、外でごうごうと鳴る風の音がなぜか体に沁み込むように私をわくわくさせた。今も強風に木が揺れる様を見ると、その風を浴びに外へ飛び出したい衝動に駆られる。髪を揺さぶり、口や鼻に強引に入り込む風。目を細め、バタバタと音立てながら前のめりに風にぶち当たる喜びがあった。

埼玉は日本でも最も自然災害の少ないところだと、今度の震災でつくづく有難く感じた。最近は台風もめったに来ない。来ても殆どヨレヨレで、台風という名がかわいそうなやつばかり。不謹慎だが、沖縄や枕崎あたりの凛とした台風状況をテレビで見ると、思わず「台風頑張れ、ここまで元気で来い!」などと応援してしまう。

自然は友。一言でいえばそういうことか。震災は厳しすぎるが、大きな目で見れば、それが私達を育ててきたのかもしれない。幼い胸に響いた風の音は、体に宿る自然が外の自然と呼応する野性の共鳴だったのだな、と今になって解ってきた。  2011/5/30

爽やかな人、爽やかな絵

アンスリウムなど f6 watercolor 2011

 埼玉県展の審査結果が出品者の手元に届き始め、結果に一喜一憂する人もいると思う。

ユニークな絵を描く人がいる。「今年も落ちちゃいましたー。また、来年頑張りまーす」と笑っている。しかし決して来年の入選を目指して頑張るとも思えない。要するに、絵はその人の人生のほんのわずかな部分に過ぎず、血眼になってまでやるほどのことではないのだろう。が、決していい加減に描くわけではなく、それなりに真剣らしい。彼にとって絵は、大切な人生の一部分であることも間違いない。

その人の絵は実を言うと少し困った絵なのだが、その困り方が痛快で気持ちいい。一言でいえばスケールが大きすぎて「きわめて絵にしづらい」。大きいといっても対象は実に具体的で、目に見えるものなのだが、リアルに描くと全然つまらない。半分抽象化するともっとつまらない。絵では無理なのかも?とも思うが、チャレンジし続けている。けれど私のように直線的ではなく、その無理さ加減を楽しんでいるようにも見える。

けっして上手い人ではない(しかし最近だいぶ腕を上げてきた)が、どんな絵を描いても楽しい気分がとてもよく伝わってくる。それが実に爽快だ。彼のような絵との距離感は私には経験がない。こんな楽しみ方ってあるんだなあ、と羨ましくも見える。

気持ちが伝わるくらいだから、実力は十分ありそうだ。だが「困った絵」を絵にすることは未だに出来ず、したがって?結果も出ない。それが楽しそうでもあるし、さらに絵を描く原動力でもあるに違いない。困った絵は、まだ数年は爽やかに彼と私を悩ませてくれるだろう。

上の水彩画は、内容とは何の関係もありません。単なる気分です。