家庭科の先生

男子厨房に立ち入らず。誰言ふとも知らず、世間にてはただ男の厨房仕事の手伝ひを厭へる分別ならん。我が家にては盛んに「男子、繁く厨房に立ち入りたまへ、helpしたまえ」と呼ばわれるも、男子何故かいずれも耳遠く、聞こえぬが難なり。

我が妻、「料理、洗濯、掃除」の先生也。「先生」の意、「不如意現実」。往時「唐変木」先生の遠隔子孫なり。先生その血濃厚なるを家人驚嘆す。是ダーウィン卿定理の奇跡の証左とならん。

以下に先生の偈、その一例を挙ぐ。料理:「料理は簡単を以って旨とすべし」簡単するに、お惣菜買えば佳し。是非もなし。洗濯:「洗濯の要は清潔にあり」。使い捨てに勝る清潔なし。先生曰く、「干せば花粉など浴び」ると言ひ、「以ての外」。至極ご尤も。掃除:先ず以って、ゴミを出さぬが要なり。塵芥の類、自然循環にて雲散すべし。人亦自然の一部なり。塵芥にて苦しむなどまさに自業自得とも心得、先ずは心療科にて「清潔病」なる病の心療を施すが肝心。ビニール袋など古来在らぬものにつきては、人知の及ぶところに在らず、勝手次第とのたまう。ただ神のみぞその行方知るところなり。

 

 

未完の完

題名不明     2000〜2005年頃 油彩 163×130cm

先週5月の気温と言われた木曜、金曜日のあとは、再び2月の寒さに戻るという天気予報だったが、今朝も引き続き暖かい。今年はもうこのまま春になってしまうのかも。と思ったら庭に雪がある!夜のあいだに降ったらしい。

春愁、という語がある。どこといって身体に悪いところはないのに、何となく気分が塞ぐ感じを言うようだ。今はまさに春愁。なんだか全てがゆっくり逆回転しているような、嫌な気分。心臓は問題ない、と思うが心に問題がある?

写真の絵は同じく最近剥ぎ取った作品。未完成のまま放ったらかしていた。どう仕上げていいか、分からなかったからだ。何年も考えても、分からなかった。今も分からない。おそらく、既に描くべきところは描いてしまった。感覚はそう言っているが、頭がついていけないのだ。自分でも理解できないうちに、絵は完成してしまった。絵とはそういうものかも。表現も面白い。

倉庫から

「海峡」        1996    油彩      160×130cm

倉庫で作品の整理と木枠からの引き剥がし作業をしていて、古い油絵を引っ張り出した。油彩画をやめてから30年以上だと思っていたが、時々は描いていたことになる。保存状態は良好だった。

今見ると、イメージにムラがあるなど、完成度は高くないが、湧き上がるイメージをそのままどんどん描いていく率直さがあって、タッチにも伸びやかな若さを感じる。古典絵画の勉強も少しはしていたから、そういう面も素直に現れていると思う。そう、一言で言えば自分に素直な絵だ。

この頃は3m、4mという大作も含め、一年に120〜150枚は描いていた。注文などいっさいないのに、ほとんど朝から晩まで描きづめ。それが何年間か続いていたはず。どうしようもなく暇で、他にやることが無かったのだろう。二度の大きな引っ越しの際に、それぞれ数百枚ずつ剥ぎ取った絵が山になったのを覚えている。懐かしい時代の遺物。