藤澤伸介展‐急げ

表参道・六本木ヒルズの顔「同潤館」。個展会場はこの2階右側
森には小さな焚き火がある。温まっていきなよ
想像力さえあれば、いつでも来れる森だぜ
森の四天王
森に棲むものたちが、珍しそうに青山通りの人間どもを眺める

11月20日(水)東京渋谷区、表参道ヒルズでの「藤澤伸介展」を拝見してきました。場所は東京の目抜き通りの一つ、表参道。再開発で作られた表参道ヒルズの一角に、日本の近代建築の出発点のひとつ、「同潤会アパート」の外観(一部)が建築遺産として保存的に残されています。そこの小さな画廊スペースに “森を持ち込もう” としているのを感じました(以下 “Takashi” の独善的感想です)。

いいDMですね。ご案内を頂いたとき、この一枚で作家が何を伝えたいかが解るような気がしました。そして会場に貼られた一枚の手書きのメッセージ。独自の暖かみのある文字を含め、全身で表現する姿に感動します。この会場を選んだこと自体がすでに彼の表現であって、決して偶然ではありません。

冒頭、“森を持ち込もうと・・” はわたしの語彙不足ですね。森の自然や大きさ、深さを、もし作者の手で “持ってくる” の意味に感じさせてしまったなら、それは藤澤さんの真意とは真逆の感覚かもしれません。
 彼の表現したいのは“『森』への畏怖と憧憬” 。「尊敬」に近いとさえ言っていいかも知れません。海の泡、淡いみどりの葉のように生まれ、枯葉のかけらのように消えていく無数のいのちの端々、そこに束の間現れる断片的な夢の言葉、言葉を持たない生き物たちの、蠢き(うごめき)やわずかな振動だけで伝わる、微かで必死なコンタクト。それらが見せる、笑いとも泣き顔とも言い得ぬ、こわばった小さな貌(かお)たち。そうした森の奇跡の粒々を、藤澤さんは土や木や針金、カッターナイフなどを使って、必死に拾い集めてきたように感じます。

「龍の棲む森」は、藤澤さんのイマジネーションですが、そこに彼は君臨してはいません。主はもちろん「龍」。藤沢さんはそこでは一介の工人(作る人)であり、むしろその「門番」に甘んじているかのようです。森への入り口は一つではありません。奥もどこまで深いのか、門番でさえ知ることはできません。なかではいつの間にか他の森にも繋がります。いつでも、だれでも、どこからでもどうぞ、と藤澤さんが誘っていますよ。龍の棲む森へどうぞ、と。

会場:ギャラリー同潤会
   渋谷区神宮前4-12-10 表参道ヒルズ同潤館2階(東京メトロ表参道駅A2 より徒歩2分) 
   https://www.gallery-dojunkai.com
会期:2024年11月20日(水)~25日(月)。11:00~19:00(最終日は17:00まで)。
 急いでください。

「禁止」の文化、「可能」の文化

ビデオ「顔の中の緑」のひとコマ(2024年11月23日、公開予定)

禁止の文化って、もちろん「○○してはいけない」って文化。可能の文化って、「○○も出来ますよ、どうぞ」ってことなんだけど、それは国とかの単位では比較できないですよね。どこの国だって、○○してはいけないというマナーとかルールがあるし、○○はオッケーですよ、という部分もある。宗教も大きく絡んでくるから、そこを良いとか悪いとか一概に言うことはできないはずだし、そんな大それた批評などする気もありません。

わたしが感じるのは、「禁止の文化」と「可能の文化」の入り乱れ方が変わってきたんだな、ということ。普通に考えたら、誰だって「禁止の・・」より「可能の・・」の方が良さそうだって思うじゃないですか(?)。

常識知らずで申し訳ないけど、就職面談で、女子の場合、「すっぴんは社会人としてマナー違反」として、履歴書の写真だけでアウトと評価する人事担当者がかなり多い(という調査結果があるらしい)と最近のニュースで知った(調査内容の真偽に関しては責任持ちません)。パンプス不可、ズックなど身体的理由があっても応募者は自己規制する、とは以前にも聞いたことがある。「女子、可愛そうって」、わたしなど思ってしまう。これは、時代が現代に近づくにつれて「禁止事項」が増えてきている事例だと思う。当然、男子には男子なりのそれがあると想像される。

一方で、面接にわざわざ「普段着でお越しください」というメッセージを送る会社もあれば、希望すれば「オンラインのみで面接」という会社もある、と聞く。これは「可能の文化」系ですかね?「禁止」されると蕁麻疹が出るわたしなどは、可能な限り、「可能の文化」の中で生きていきたいし、それをできるだけ支えたいとも思っている。

ポインセチアのスケッチ

ポインセチアのスケッチ

日なたの八重のポインセチア。かたちがはっきりしているので、描きやすい花と思われそうだが、意外に難しい。日に当たった色は輝き、これを油絵はともかく、水彩で再現するのは容易ではない。だから、再現ではなく、「印象を記憶する」スケッチになる。葉脈も深くて影が鋭く、かたちもいい加減にごまかせない。

暮れ近くになると、花屋さんの店頭にずらりと並び、これをスケッチする人もきっと少なくない。