石丸 康生 個展

            石丸康生展会場 12Oct.2021 ギャラリーなつか 10/11~10/16

10/12(火)曇りのち雨。わたしたちのグループ展開催中の画廊を早めに抜け、京橋・「ギャラリーなつか」での石丸康生さんの個展を見てから帰宅することにした。

石丸さんは山口県周南市のご出身。周南市の沖合に大津島という離島がある。そこには太平洋戦争時の日本軍の水中特攻兵器、人間魚雷「回天」の訓練基地があった。水面下に主要構造物がある基地の特殊性から来る、海(水)とコンクリートとの親水性、そこに染み出てくる鉄筋の錆のイメージ。それが作品へのモチーフになっていると、だいぶ前にご本人から聞いた。

国画会の会員になる前、厚さ30cmにもなる分厚いブロックに、繊細な凹凸をつけ、薄青い水を流しては留め、流しては留めてだんだんに色を深めていくような表現に、「大津島より」という副題をつけていた時期がある。わたしは子どものころ兵器マニアでもあったから、その副題でピンときた。そしてその年代にふさわしい年配の作家を想像したが、石丸さんはわたしよりずっと若い作家である。髪の毛もいまだに黒々、ふさふさだ。それからずっと石丸さんの仕事を、それが彼のどのような哲学に繋がっているのか、モチーフとしての特殊性をどう造形化するのか、興味を持って見てきた。彼の表現はその原点に重くも軽くもなく誠実で、かつ現代に生きる若い人の感性とを、クールに調和させて来ているように思える。

個展会場に入ると、浅い水の中になかば沈んだ建築(それも神殿のような)の内側、大理石の壁や床に描く、波と光の永遠の戯れを見ているような気分になった。その浅水感覚は、わたしが彼の作品を意識したころから、ずっと変わらない。わたしが伺ったとき、雨のせいで観客はわたし一人だった。彼の絵は静かな絵だ。夏の海に身体を浸し、ゆらゆら立ち泳ぎしている感覚。制作中はどんな音楽(音)を聴くのだろう、と思っていたが訊きそびれた。

この世は知らないことだらけ

木立ベゴニアの制作 2021 F60 アキーラ

知らないことが多すぎる。いや、もう少し丁寧に言おう。自分にとって必要なことさえ知らなすぎる、である。

ある(アメリカの、だったか)科学者が、人間が一つの新しいことを成し遂げるには200歳以上生きる必要がある、と言ったのを覚えている。人類の、これまでの知識を自分のバックグラウンドとして身につけるまでに最低120歳、先端知識を身につけ、経験するのに50年、研究し、結果を出すのに最低30年とか。区分けはこの通りでなかったかも知れないが、とにかく人生100年じゃ短すぎて何もやる時間がない。だからとりあえず人間を200歳まで生きられるための研究をしている、という話だった。

Youtube に「青いカモメの絵画教室」というチャンネルを作ったよ(9月7日)。できれば皆さんに見てもらい、いろいろ意見を聞いて内容を充実させていきたいので、まずは見てください。気分悪くなければチャンネル登録してね。新しい動画を載せた時知らせが届くらしいから、よろしく。―ちょっと脱線したが、このコマ送り動画(GIF画像)、じつは動画ではなく、「画像」扱いだということを今日知った。これまでも何度か(GIF画像を)載せているのに気がつかなかった。こんなふうに、現にやっていることの意味さえ「知らない」のだから、もう少し距離感のある事柄なら、ほぼ「無知」に等しいだろう、と恐懼する。

目下、コンピューターでは「機械学習」というのが大きな研究テーマになっている。成功、失敗のデータを分析、学習して、つねに正しい選択ができるようにしようというもので、将棋の藤井壮太君が使っている将棋ソフトもそうしたものの一つだ。だが、「試行錯誤」そのものに「愉しみ」を見出す、わたしのようなひねくれものをどう扱ったらいいのか知るために、あんがい生きた実験動物として役に立っているのかも知れません。

腱鞘炎

最近、腱鞘炎が頻繁だ。そんなに手指を酷使している、つまり「お仕事」しているのかと思われそうだが、実はその逆。だから、なぜ頻繁に腱鞘炎になるのか、不思議だった。

腱鞘炎といえばピアニストと連想する人が多いらしい。わたしも実はそう思いこんでいた一人なのだが、ピアニストを含む音楽家の整形外科的な手の病気を見ると、腱鞘炎は全体の1/3なのだそうだ。意外に少ない気がするが、内容をみると手(腕)の筋肉の使い過ぎによる筋炎(筋肉痛)、筋肉の骨への付着部の炎症(付着部炎)の3つで全体の70%だが、そもそも腱鞘自体が身体のごく一部にしか存在しないことを考えると、やはり噂は正しかったと言えそうだ。

身体を動かすということは、骨が動くことでもある。その骨を動かすのは筋肉。骨にくっついた筋肉が縮んだ伸びたりすることで、骨の位置を変える=身体の動きを作り出す。骨にくっついた筋肉の一部が繊維状の「腱」になっているところもある。手足の指など繊細な動きをするところでは、「腱」が特別なポイントを通過する必要がある。そのポイントが鞘(トンネル)のようになっていて、腱の「脱線」を防いでいる。けれど、なんらかの原因でその鞘が腫れたりすると、そこを通る腱と擦れてしまうことになる。それが腱鞘炎。

腱が頻繁に鞘を出入りすれば擦れる機会も増える。とうぜん腱鞘炎も増える。ピアニストの例はその典型である。けれど、そうした機会が減ったのに腱鞘炎が増えたのはなぜか。つまり腱、鞘のどちらか、または両方がなぜ腫れたのかということだ。人間の身体は、そのおおよその仕組みは分っているようだが、すべて解っているわけではない―休ませ過ぎもあるかもしれない・・・。「たまには仕事をしろよ」そう言われているような気がする。でも、腱鞘炎になってから仕事をするってのもいかがなものか、なんてね。