日曜日

水彩で制作中  (写真に頼らず、見て描くことを大事にしている)

今日はカメラからパソコンへのデータ転送とカメラのメモリーに空きを作っていた(メモリーカードを買えば済む話だけど)。

カメラはいつでも使える状態にしておかなくてはならないから、データ転送を優先する。転送とデータ削除を切り替えながら、ついでにパソコン内の他の写真、ビデオも保存するかどうかチェック。最近の課題なのに、こんな画像があったことをもう忘れていた。

描かないとすぐ忘れてしまうし、描けなくなる。年を取れば誰でも目は衰えるし、手も震えてくる。ひとつ覚えるのにも時間がかかり、せっかく覚えても、そばから忘れていく。「衰え」が「いい味」になるには別の次元の能力がたぶん要る。しかも、練習して獲得できるものでもないような気もする。

でも、まあ、そんなこと考えたってどうにかなるものでもない。気が向いたら、とりあえずまた何か描いておこう、そんな気になった。

オレンジピール

クッキーかなと、頂いたピンクの袋を開けたらオレンジピール。春になったのを感じた。妻の実家には夏ミカンの木がたくさんあり、子どもがまだ小さい頃は休みの度に連れて行き、その実をもいだものだった。

自分の頭ぐらいの大きな実をもぎ取る体験が非日常的でエキサイトするから、使う目的も無くやたらに摘み取ってしまう。ある日、山のように盛り上がった夏ミカンをどうしようか頭の隅で悩みつつ、オレンジピール作りを子どもに持ちかけた。ガス代とグラニュー糖代の方がかかるとの反対を押し切って、はじめて二人だけで作ってみた。苦みがあり、チョコレートも無かったが、とても喜んでくれた。どっさり作ってしばらく楽しんだいい思い出だ。

それ以来、子どもを喜ばすことなどやってあげた記憶がほとんどない。自分のことだけで一杯一杯だった気がする。いまさら反省したって遅いが―「へぇーっ、チョコレートのボリュームがすごいね」と息子。やっぱり買ったものとは違うね、と妻。「これは夏ミカンじゃないね。苦みがないもの」とわたし。

ああ、気持に余裕がないなあ。気分的なものだけでなく、すべてに余裕がなくなってきた。生きている残り時間も含めて。せめてわたしも、何か美味しいものを自分で作るだけの気持を取り戻したいなあ。

スケッチ

気が滅入ることだらけ。社会的にもだが個人的にも。自分だけで解決しなければならない問題もあれば、自分ではどうにもできないこともある。

自分ではどうにもできないことは放っぽっておくしかないのは解っているのに悶々とする。そのくせ自分で解決しなければならない問題にはいつまでたっても手をこまねいている。そして勝手に滅入っている。典型的な馬鹿の自画像。

いや、このスケッチのことじゃない。これはそうした硬い雰囲気の中で、少しでも体を動かして自分をリラックスさせようとして描いてみたものだ。中身はどうでもいいが、描くこと自体に意味がある。スケッチというのは有難いものだ。描いているうちに身体から緊張が取れていく。慣れた動きに、脳が反応し、それが身体にフィードバックされて筋肉が弛緩する、そんな感じ。