健康アプリによれば

黄色のりんご 水彩 F6

もう12月に入ったと焦っているのに、さらにもう8日も過ぎてしまった。なのに、わたしは何をやってるんだろう。

今週の睡眠時間をアプリで見ると平均4時間18分。こりゃマズいわ、また腰にきてしまう。眠る眠らないは別として、横になる時間がもっと必要だ。横になって本を読んでも、ラジオを聴いてもパソコンをやってもいいが、とにかく横になることが大事。

睡眠時間を縮めているのは、動画編集。毎日午前2時を過ぎる。布団に入っても頭が切り替わらず、すぐには寝つけない。深い眠りが来るのは明け方近くになってから。グラフにはそう出ている。そして7時過ぎには起きて、ちょっとだけ腹筋などの筋トレをする。幸いいまのところは体調はいいが、要注意だ。絵を描くならともかく、動画編集でボツの繰り返しでは、なんだか空しくなってくる。

こういう時は寝るに限る。今日は早めに寝よう(なるべく日付が変わらないうちに)。頭も体も元気でないと、良いアイデアは浮かばないという迷信を信じることにして。ちなみにアプリでは睡眠不足ではなく「普通」。深い睡眠が40分以上あればそういう判定になるようだ。確かに今日は42分と出ていた。アプリから「リッチな睡眠のご提案をします」って。とりあえず、それはご辞退申し上げておく。

「無意味」をジャンプする

スケッチブック

人生の残り少なくなった時間で、なるべく「無意味」なことはしたくない=意味あることをしたい、と考えていた。その一方で、生きるということにもともと意味なんかないという考えも、高校生の頃からわたしのなかに常に一定のスペースを持っている。

そして、都合よくどちらかをオン、オフにしてその場その場で自分を納得させてきた。それは2つの考え方が互いに矛盾すると思っていたからだが、実は、それは同じものなのだと年を取るごとに思えてきた。どちらもオンにすることが可能であるというのではなく、むしろどちらもオンでなければ、一方だけでは成り立たないことが解ってきたからだ。

まず、無意味=意味のないこと、ではなく、それははるかに「積極的な」空白(空間)だということ。絵を描くためには白いキャンバスが必要だ、と考えてもらえば解りやすい。もう一つは「誰かにとっての無意味」は「他の誰かにとっての有意味」でもあるということ。「誰にとっても意味あること」、そんなものはあり得ない。迷信か、あるいはある種の洗脳の結果(たとえば「教育」という名の)に違いない(この意味では、教育の功罪はもっと深く冷静に(国家単位などという小さなものではなく)常に吟味され続けるべきだと考えているが、ここはそれ以上を述べるのにふさわしい場ではない)。

創作の場では、「意味」は常に否定されるところから出発する。ひとつひとつの意味はすべて一度否定される。ヘーゲルではないが、名作は名作ではない。美しいものは美しくない。そこからしか創作は船出することができないのだ。「そんなこたあ、言われなくたって知ってらあ」と、巻き舌の江戸弁で軽く返されそうだが、確かにその程度のことなのに違いない。でも、もっと大事なのはその先で、さらに積極的に「無意味」をどんどん創り出すことだ。そのことによって生きること。誰かに意味づけられた人生をジャンプするには、それしかない。

午前0時、ビデオ編集中

ビデオ撮影中

11月29日中にこのブログをアップロードしたかったが、疲れて沈没してしまった。ポインセチアの制作ビデオを編集している途中だった。わたしは(撮影にももたもたするが)ビデオ編集にすごい時間がかかる。凝っているのでも、慎重なのでもなく、単純に「知識不足」のせいで。

「青いカモメの絵画教室」チャンネルには38本もの動画がアップされているが、いわゆる「動画」らしい動画はまだ10本程度。それも古いのが6月頃からで、大半が今年の8月以降。ようするに最近になってやっとそれが作れるようになった。しかも、曲がりなりにも作れるようになっただけで、ちゃんと理解できているわけでは全然ない。

動画を作るには①撮影→カメラの知識・操作能力、②編集→編集ソフトの知識・操作、ナレーション等の言語能力、BGMなどの音楽的素養、③アップ→メディア関連の基本知識 等々が不可欠だが、どれをとっても「不足」だらけ。ここにはないが、これらの能力以前に、何をやるべきかを考える企画能力が要る。これも??が点く。一人での動画では、作者=俳優(声優)でもあることが必要だが、これも???だ。そして計画性も✕。

はっきり言って、失格というより「不合格」。じぶんでもかなりめげるが、それでも応援してくれるのが視聴者。誰が見てくれているのか顔も分からないが、最近はチャンネル全体で毎日150回(人?)以上の視聴がある。そしてビデオのためのデモ制作を支えてくれる、教室のメンバーたち。これらの人たちの期待?に応えたい、気づけばそれがモチベーションになっているのである。