七月は励起回復挽回期

描き始めが魅力的なのは、ビジョンを自由に “共有できそうな気がするから” でしょうか

今日から七月。今年もはや半年を折り返しました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。わたしも(たぶん)多くの方と同様、“元気だけれど、ちょっと疲れも溜まってきているかなー”です。昨日も夕方、ちょっとだけ横になるつもりがそのまま1時間ほど眠ってしまい、18時頃に目覚め、朝と錯覚してドタバタしてしまいました。でも、睡眠はすべての健康の基、眠れないよりは遥かに良かったです。

表題は、今月の“俳句”のつもり。季語は「七月」。月名はすべて季語になるので楽チンですね。天候不順でぐったりしたまま折り返し点を通過してしまったが、七月にはいり梅雨明けの声を聴けば心機一転、「挽回するぞー」というカケ声の句です。冗句にて失礼いたしました。

今日は関東では一部雨になる可能性もあり、その分やや涼しめですが、ニュースによれば今日から東京電力管内「節電要請」だそうです。一方で「クーラーなど適宜に使いましょう」とも言っています。一見矛盾したような、その意(こころ)は?「節電機能の高いクーラーに買い替えれば、『新しい資本主義』が進みます(岸田首相)」、なんてね。
 疲れてくると、すべてのことに興味、好奇心のレベルが下がり、不満の沈殿が増してきます。家庭内でも、ちょっとしたすれ違いがその沈殿物をかき回すことになったりしますから、普段よりも自分と相手をいたわる気持ちで用心していきましょう・・。

それじゃあ、励起回復挽回なんて「絵に描いた餅」?でも、どんな餅かを「絵に描くこと」が大事、かもしれません。ビジョンですよね。それに向かって人は生きていきます。食べ物もお金も生きるには必要ですが、ビジョンがないと人は人でなくなるようですよ。

道具を使う動物

「新緑の館」水彩 F4/コットン紙

ナショナルジオグラフィック(通称ナショジオ)という雑誌があります(このブログでもすでに数度その雑誌自体に言及しています)。その2023年7月号(最新号)に、「道具を使う動物」として人間、チンパンジーに続く、3番目の動物として「オウム」が加わることになったと、小さな記事ですが報告されています。

オーストリア・ウィーン獣医科大学での実験が紹介されています。オウムの頭の良さはかなり前から知られているし、道具を使う動物としても、ダーウィンがガラパゴスで確認した、フィンチという鳥が道具を使って木の中の虫をほじくり出す例を含め、たくさんの種類ですでに知られています。

何を今さら、と思って読んだのですが、状況によって「2種類の道具」を「使い分け」、必要に応じて「セットで使う」。これができるのは、これまで人間とチンパンジーだけだとされていたのだそうです。さもありなん。言語能力においても似たようなことがすでに指摘されていて、いわゆる「オウム返し」のようにただ真似るだけでなく、言語の意味性を理解し、応えているとしか思えない、高い知能を示す例がいくつも報告されています。
 ある本に載っていた一つの例として、チンパンジーに算数を教える実験で「two add two equal ?(2たす2は?)」という質問をしていると、隣の部屋にいるオウムが壁を叩き「Four(4)」と答えた、というのがありました。驚いた研究者が数字を変えて試してみてもいずれも正解だったそうです。何度も繰り返し、チンパンジーに数字と数字のあいだの関数(算数)を教えている間に、それをじっと隣室で聴いていたオウムが、その関数を理解してしまったとしか考えられないということですよね。ただのオウム返しとはまったく次元の異なる能力ですよね。そう考えると、そのくらいは当然、本当はもっとすごいんじゃないですか?と言いたいような気さえします。

けれど、では他の動物は頭が悪い、と一概には言えないでしょう。なぜなら、地球上に棲むすべての生物は現在までの生存競争の勝者だけですから。「頭の悪い」(この言い方自体、人間視点一辺倒の偏見ですが)動物は生き残れなかったはずです。
 逆に、人間は頭がいいのでしょうか?戦争は人類進化のための選択肢として、「状況に応じて」「使い分け」ているんでしょうか?数学ができる人は苦手な人より頭がいいんでしょうか?馬鹿な人を選挙で選ぶ人はもっとバカなんでしょうか?―済みません、「反省だけならサルでもできる」というかつての「流行語」を思い出してしまいました。たぶん反省さえできないと思いますけど、ニンゲンという動物は。

アジサイを見に行ってきました

アナベルという品種だそうです。大人の頭くらい大きい
木陰には涼しい風も

日曜日、一人で幸手市権現堂で開催中のアジサイ祭り(6月25日まで。期間を過ぎても花は咲いていると思いますが)に行ってきました。気温31℃とかなり暑かったのですが、結構たくさんの人が見に来ていました。

こういうイベントではわたしはいつも花より人を見に行きます。人間観察をしながら、見知らぬその人のストーリーを勝手に想像して楽しみます。すれ違いざまにふっと耳に入る言葉からイメージが広がることも、ままあります。頭に浮かんだ一瞬のドラマを、たいていはすぐに忘れてしまいますけど、ちょっと文章化してみようかなと思う時もたまにはあります。
 あるいは顔のコレクション。ただし、顔の写真は撮りません。あくまで記憶の中だけにします。顔や表情の観察は人物画を描くときには少なからずプラスになるんじゃないでしょうか。コロナ以来、コレクションにはマスクがとても不便です。

もともとは絵になる構図を探すのが主目的ですが、途中から腰が疲れてきて、100枚ほど写真を撮って帰宅しました。10枚くらいはトリミングすれば使えそうです(たとえば下の写真はどこかのシーンに使えそうに感じます)。まあ、暑い中を出かけただけの収穫はあったことにしておきましょう。