目がショボショボです

とりあえずアップロードしました。ご高覧あれ

野生の動物だって目がショボショボになることはあるはず。だいぶむかし犬を飼っていた頃、何度か犬が眼病にかかり、目薬など差した経験からもそう言える。猫もそうだった。カメレオンなどある種のトカゲは自分の下で眼を舐めてきれいにする。複眼を持つトンボも、よく見ると前足でしょっちゅう目を撫でている。もっともあれは「眼精疲労」などではなく、たんにゴミ?を掃っているのだろうけど。

動物も病気にかかるけれど、たぶん「病気」という概念はないだろうから、たんに「苦しい」「痛い」という「感覚」の中だけにいる。もちろん医者など知るわけはないから、調子が戻るまで、ひたすらじっと耐えている。

いちど、子犬が車に轢かれそうになったことがある。雪道で、チェーンを巻いた車の中に跳び入ってしまった。下敷きになるのは免れたが、回転するチェーンの端っこが眼に当たったらしく、キャンキャン鳴きながら、大きな下駄箱の奥の方に潜り込んだきり、出てこなくなった。食餌も取らず、じっと奥に潜んだまま数日。やっと痛みが薄らいだのか、空腹が勝ったのか、出てきた時は眼窩の一部が切れて晴れ上がり、眼球は白く濁ってしまっていた。―これは失明する―と思ったが、当時は動物病院などという洒落たものはなく(そもそも人間の医者さえいない「無医村」だった)、ただ見守るしかなかった。

驚いたことに、成長期だったせいか、数カ月で眼の白濁はすっかり消え、視力も回復した(ようだった)。自然の治癒力の凄さを見た思いで、今もよく覚えている。
 遠くをぼんやり見る―それが一番目を休めると眼科医に聞いたことがある。いま自分がやっていることは、その真逆。ショボショボになるわけさ。

色に遊ぶ

             「りんごの風景」  水彩  F4

東日本、特に関東太平洋側では晴天が続き、今日も乾燥注意報が出ている。カラッとした良い天気だが、わたしの気分はずっとウエットなまま。そんな時、こういう絵を描いて気分を乾燥させる。

赤と黄色と緑。いつもながらわたしのワンパターン。こんなにあからさまに、この三色をどれも高彩度で使うようなカラーセンスのない人は珍しい、と自分でも感じる。普通は三色のうち、一色を抜いた二色でバリエーションを作り、抜いた一色をアクセントとして使うとか、もうちょっと洒落た使い方をする。あるいは三色を交互に混ぜて(重ねて)、近い色どうしにまとめていく。ともかく、こんなにストレートでバラバラに(交通信号機のように)原色を使う絵を見ることは少ない(子どもの絵には圧倒的に多い!)。

色の無い、モノトーンの世界にわたしは憧れる。だから雪の風景はことさら心を惹かれる。なのに、絵を描くとつい鮮やかに、より純粋にと色を使いたくなってしまう。カラーセンサーのどこかが壊れているに違いない。他の画家たちの絵を見るたびに、そうだ、こんな色遣いをしなくっちゃ、と強く願うのだが、画廊を出て3歩歩くともう忘れている。

モノトーンの絵はカッコいい、大人の絵だと思うのだが、色をたくさん使うのは頭を空っぽにできて楽しい。屁理屈をこねる割にはもともとの頭がガキっぽいのだろう。それならそれでいいはずなのに、そこに自分を100%投げ込めないジレンマがある。

イチロー

「どんな生き物も、いつもわたしたちの想像を超える」  水彩

野球のイチロー元選手が、日本人として初めてアメリカの野球殿堂入りをした、というニュースが日本中に流れた。それについてわたしがつけ加えられることは何もないが、ひとつだけ、「自分にも関わること」として書いておきたいことがある。

わたしがイチロー氏を尊敬するのは、彼の成績が超人的だから、ではない。自分自身をとことん見抜いていく我慢強さと、ある種の「精神の弱さ(あるいは強さ)」とを、彼独自の思想によって融合させたことにある。野球殿堂入りへの投票では満票に1票足りなかった。そのことについて「良かった。自分に足りないものがあるということはいいことだ」と語った言葉にも、そのことがはっきりと表現されている。そして「これからが大事だ」。いかにもイチロー氏らしい、極上のコメントである。

自分は弱い、他の人に及ばないところがたくさんある、と気づく「(気の)弱さ」が彼の「繊細な強さ」の底辺にある、とわたしは常々感嘆してきた。彼の素直な感性なのだろう。そしてそれを「何とか人並みに(少なくとも「あいつらより上に」などと思い上がってはいなかったに違いない)」の努力をたゆまず、人の意見は参考にはしても、結果はすべて自己責任とする「イチロー的」思想を胸の中に育て上げ、結果としてあの高みに達したのだと思う。一つ一つは誰でも少しはできること。けれど、ほとんどの人が途中でサボるか諦めるかの二択になる。

たとえばイチローを有名にした、独自考案の「筋トレマシーン」がある。当時は、もともと体力に優れた米国などの選手たちにとって、筋トレなど、いくらトレーナーに説かれても心底から必要性など感じられていなかった。けれど、日本人の中でさえ体格の大きい方ではないイチロー氏は、渡米一年目にしてすぐ好成績を残しながらも、心の中では米国選手との体力差を肌で感じたのに違いない。「今と同じことが明日も、来シーズンも出来るのか」、そんな不安がぬぐえなかったに違いない。そして、選手や米国マスコミからの冷やかしや嘲笑を浴びながらも、黙々と筋トレマシーンに向かうしか選択肢はなかったに違いない。走ること、投げること、考えることのすべてにおいてそれは続けられた。
 そして身に着いたのは筋力、体力以上に、他人がどう言おうと自分の感性を信じ実行する、という「精神の強さ」だったとわたしは思う。それがわたし自身と比較しての、(比較はわたし個人にしか意味がないが (^-^;)イチロー氏の偉大さだ。