Modern art American

Astronaut F4 2011

モダンアート・アメリカン展を国立新美術館で観た。ヨーロッパ直輸入の時代から、次第にアメリカの風土性が強くなり、やがてヨーロッパとは違う独自の道を歩み始め、そこに自信を持つに至るプロセスを分かりやすく並べてある。

ジョージア・オキーフという女性画家(写真家アルフレッド・スティーグリッツの妻でもあった)。大画面に蘭などの花の一部分だけを特にクローズアップして、女性性器かと一瞬見紛う表現などで知られている。その写真的な手法など、一流の写真家であるだけでなく、現代美術の隠れた天才ディレクターでもあったスティーグリッツのアイデア、戦略そしてオキーフの感性を見抜く目を抜きにしては語れない(はず)。

そのオキーフの作品が3点ほど出ている。どれもあまり大きくないが、そのうちの20号ばかりの、一枚の枯れ葉を描いた作品に特に魅かれた。前面に一枚の大きな白っぽい葉。その後ろに赤茶けたもう一枚の葉が重なっている。さらにその後ろの葉と、全体で3枚の葉っぱを描いているだけだ。前面の白い葉の一部に、それが枯れ葉である証拠の乾いた亀裂が入っているのが、この絵の核だと思う。背景も白。色彩は主に白と茶色の葉、それに背景の白だけの単純さで、モダンアートの旗手の一人としてはむしろ地味な絵だ。

多分実際にきれいな色の葉っぱだったのだろう。何となく拾い上げて手に乗せて見た。普通ならそのあと捨ててしまうか、描こうとして持ちかえっても結局描かずに捨ててしまう。けれど、そこに長い、一本の亀裂がオキーフの目を捕えた。何かが閃いて、それが絵になった。葉も大事だが、この亀裂が絵の核だというのはそういう意味である。もちろんこれは私の勝手な空想に過ぎないけれど、絵というのは往々にそうやって生まれてくるものだからだ。

エドワード・ホッパーの絵にも魅かれる。男が座っている。何でもない光景だし、その前にもその後にもたくさんの男も女も座っているのを見ていた筈なのに、その時その場所での男がホッパーに突然の閃きをもたらしたのだ。その男をあえてモデルに雇ったとしても、描く気持になったかどうか(制作にあたってモデルを使ったかどうかは関係無い)。

クリフォード・スティル。これら世代は異なるが、アメリカの絵画はモダン、時代の最先端というイメージが強く、日本人が真似るとことさら新奇、激しさ、けばけばしさなどを強調するが、実際に見ると案外に地味なのである。その発想も自分自身に発していて、むしろ謙虚で素朴という、モダンアートのイメージと矛盾した言葉さえ浮かぶ。日本人はアメリカ絵画の本質をどこかで見誤っているのではないだろうか。絵画の本質は、レオナルドの時代でも、現代でも変わっていないような気がする。日本でもアメリカでも。そういう大事なことを、教えてくれる展覧会かも知れない。 2011/10/16

 

長期戦を楽しめるかも知れない

カラスウリ F4 水彩 2011

2ヵ月ぶりに父の入院している病院へ、3日間だけ行ってきた。

最初の印象は「父によく似た別人」。2ヵ月前は頭に包帯を巻き、目も腫れぼったく、ほとんど何を言ってるのか判らなかったが、それでも「病気の父」だった。今度は包帯も腫れぼったい眼も無かったが、目の前にいるのは父ではなく、抜け殻のような、人間というよりどこか猿のような、別人だ。私の顔にもほとんど興味は無さそうに目をそらした。

2日目。父の昼食を手伝う。手も腕も上手く使えない父は、昼食に1時間から1時間半もかかる。それも介助してもらって。一人で食べるのはほぼ不可能。口に入れてもらっても、呑み込むことさえ簡単ではない。話しかけ、励まし、落としそうになるまで一人で食器を持たせ、スプーンを持たせ、出来る限り自力でやらせる。やがてだんだん意欲的になり、口まで運べなくても食器を取り替えて持とうとし、中身をきちんと真ん中に寄せようとし、食べたくないものを食器から掻きだそうとし始めた。

声もほとんど出なくなっているが、一生懸命、たくさんの言葉を使って話し始めた。口元にピッタリ耳をつけるようにしないと聞き取れない小さな声だが、そのうち意味のある語をいくつか繋ぐようになり、相槌を打つとますます話すようになった。やっと猿から人間の世界に戻ってきてくれたように感じる。真面目で努力家タイプの、父の性格が感じられ始めた。

大好きな新聞を渡すと、読もうとする。まだ字を読めるかどうか判断できない状態だが、目はいかにも次々と記事を追っていく流れだ。時々新聞を持ちなおす仕種はさすが堂に入ったものだ。何とかなるかもしれないと、この瞬間から希望を持ち始めた。記事の内容を耳元で怒鳴るように伝えると(耳も遠くなってしまったらしい)、判っているとうなづく(しかし大半は分かっていない感じがする)。それでも機械的にうなづいているのではなく、脳内のどこかで反響した結果としてうなづいているのは確かだ。分からないのは、分からないと小さくつぶやくのだから。

脳の病気は長期戦覚悟だ。そのうえ高齢であればなおさら。体力は更に無い。にも拘わらず、きっと父は私たちの中に戻ってきてくれると確信できた。3日目の昼はいかにも食べたくなさそうだったから、「美味くないか?」と聞いたら、即座に「不味い!」と吐き捨てるように返事した。よくは聞き取れないが、「歯ごたえも、口当たりも良くない」と訴えていると理解出来た。すべてゼリー状の食べ物が、一級品の海産物を日常的に食べて来た父に美味いはずはない。私は笑った。それは昨日のことだ。  2011/10/11

 

できることしかできない

カプセル(未完)F4 MX 2011

出来ることしかできない。馬鹿みたいな言い方だが、実際自分の能力を越えたことをやろうとしても出来るはずはなく、自分の能力の範囲内で出来るはずのことさえ、実際にはなかなか出来ないものだという、極めて現実的な意味である。

しかし一方では、自分の能力がどれほどのものなのかは、やってみた結果でしか分からない。結果が出ても、もう少しやれるかも知れないという感じを抱くこともあるだろうと思う。

それに、能力というものには絶対的なものと、相対的なものとの両方があるようにも思う。絶対的なものとは、例えば先日行われた世界陸上のように、100mを何秒で走れるか、など。相対的なものとは例えば相撲のように勝ち負けのあるもの。詩を作ったり、絵を描いたりするのはどちらに近いのだろうか。

先日あるエッセイの中に、「相手と自分が同じくらいと思ったら、大抵は相手が上」というのがあった。自分のことは過大評価、他人のことは過小評価するものだという意味だろうか。評価とはもともと自分でしてはならないものなのだけれど。

それでも、自分の能力とか、自分ができる限界とかを考えるのが凡人の常というものだ。運転中にも関わらず、古今の画家たちの死亡年齢と傑作を描いた時期とを漠然と考えてみた。レオナルド・ダ・ヴィンチ享年67歳、受胎告知の制作が20歳頃。ラファエロ享年37歳、バチカンの大作「アテネの学堂」が26歳頃の制作。同じくピカソ92歳、20世紀絵画の幕開け「アビニヨンの娼婦たち」が26歳頃だ。ゴッホ、ロートレックがいずれも37歳で没。エゴン・シーレ28歳。クリムトに認められたころはまだ17歳だった。などと考えると、私などが自分の能力などという言葉を使うこと自体、身の程知らずだという気持ちになる。

けれど、絵を描けば愉しいことに変わりはないし(苦しいことにも変わりはないが)、生きているうちに止めることなどできるわけも無い。とすれば、そんなこと考えたってしょうがない。自分の好きなことをやれるだけやればそれで十分、と思うよりほかにない。結果など考えるより、今やれることを目一杯やる以外に選択肢は無いのだと考えていたら、知らずにアクセルを踏み込んでいた。運転中に出来ることは安全運転を心がけることだけである。