「節電」が怖い

この夏の電力需給のひっ迫を先取りして、節電の強制、半強制、お願いのそれぞれに、それぞれの方法が検討されているようだ。NHK(を見るなんて恥ずかしい気がするが)を見たら、家庭での節電の方法がいろいろ紹介されていた。なんと「楽しく節電しよう」!家庭で、子どもと節電ごっこをする・・、節電ゲーム・・等々。学校でも「誰かが教室の電気を消してくれました・・」。見ていて鳥肌が立つほど怖くなった。この調子では、本当の夏場になれば、隣同士、町内での「あそこの家は節電に非協力的」「あそこは朝からクーラーをつけている」など、まるでかつての共産圏の密告社会のようになるのではないかと思ったのだ。

心配し過ぎ、今の日本でそこまでは無い、と言う人が多いだろうが、私は決してそうは思わない。節電の旗振り役をやる人が、必ずと言っていいほど節電警察の役もやるだろうと思っている。たとえば自発的に始める清掃奉仕。初めはいいが、そのうち参加者が増えてくると、参加しない人が「悪い奴」にされていく。参加しないだけなのに「ゴミを捨てる奴」「敵対する奴」とだんだんにエスカレートしてくる。PTAなどに出るとそんなことが当然であるかのように起きている。同じことが「節電」でも起きると考える方が自然ではないか。

村上春樹の「1Q84」が一昨年、ベストセラーになった。そのもとになった(というのは言い過ぎだが)ジョージ・オーウェルの「1984」を読んだ人は、「1Q84」の読者より少ないかも知れない(この際だから、読んでない人には一読をお勧めする)。描かれているのは、1984年が近未来である時点でのヨーロッパの仮想の国。そこは一種の管理、監視国家だが、よくみるとそれは現代の私達の生活をほんの少しいびつに照らし出しただけのように見える。その近さに私は身震いした。

少しずつ制作が進んでいます

大震災以来、気持が集中せず、遅れていた大作がだいぶ進んできました。

二月末頃、大作のアイデアを決めた。空を海に見立て、そこから滝のように水が落下する、大洪水のイメージ。その海の中に、今目覚めた巨人がゆっくり立ち上がろうとしている。滝のように落下する水は都市の真上から滝のように落ち、湧きあがり、こぼれ落ちていく。リアルなイメージがはっきりと脳裏に浮かんでいた。

3月11日、そのイメージが突如現実のものになってしまった。ショックもあり、そのままの構図、構成ではリアル過ぎて、とても描き始めることができない。当初の2.1m×5.4mを半分のサイズにして2点制作することに変更。タイトルは変更せず「シェルターの男」。シェルターのイメージも昨年から展開中だが、福島原発事故が現実に進行している今となっては、時事的な話題を捕えた、付け焼刃のイメージに受け取られるかも知れない。予言的な作品だが、仕上がりが事故より後になるのが悔しい。

「雲湧く谷間」のシリーズも10年続けたが、赤い雲が、山頂から谷を下ってくるイメージが、途中で発生した雲仙普賢岳の噴火、その火砕流とそっくりだったため、時事的な絵と見做され、結局シリーズを止めざるを得なかった。ある意味で予言が的中し過ぎる不運であるが、まさに運であるため私にはどうすることもできない。

それなら次は一億円当たった絵を描いてやろうと思ったが、具体的なイメージが湧いてこない。当たる確率は無い、ということか。

選挙がありました

4月10日、統一地方選挙の第1弾が、岩手、宮城、福島の3件を除く全国で投開票された。

結果はご存知の通り、民主党の独り負け、みんなの党の独り勝ち。自民党が躍進したかに見えたが結果からいえば勝ちとも言い難い。ただ、勝ち負けも含めて、どさくさ選挙だったという印象が強い。

東日本大震災のショックがあまりにも大きすぎ、まだ悪夢の中にいるような気持ちの中で、碌な公約も、ビジョンも示されないまま、若さだけが売りだったりの人に投票しなければならないという、不毛の投票日。みんなの党が躍進したからといって具体的に何かをしたわけではない。民主党が千鳥足になった挙句に、勝手に転んだ手から牡丹餅を拾っちゃった、という感想だ。多くの民衆にとっては、「いま選挙やってる場合じゃないだろう!」という怒りの方が強かったのでは?

こんなショック状態のときは、新しいことをやろうとする人は不利な立場になりやすい。思考停止状態にあるのだから当然だ。本当はこんな時だからこそ、新しいことを考える人が必要で、後で正気に戻った時に「えっ、あの人が当選だったの?」というため息に変わる可能性がありそうだ。

話はかわるが、絵にも同じことが言えそうだ。みんなが暗い気持ちになっている今、単純に明るく楽しげな、元気の良さそうな絵が特に受け入れられそうな気がする。暗い気持から抜け出したいという気分は実際、私にもあるのだが、そのような方向にだけ、どんどん流れていきそうな気がする。そんな時にあえて暗い気分の絵を描くのはとても勇気が要る。